The Blue Envelope #17
なんと1ヶ月もサボってました。サボっている間にさまざまな制作にかまけていましたが、そのうちの一つの話です。鮮度重視、書きっぱなし、推敲なし
#ITBS_TEXT
劇団不労社「タイムズ」によせて
今年25周年を迎える京都芸術センターの記念演目の1つ、”西田悠哉 / 劇団不労社「タイムズ」”に劇伴担当として参加した。明日から4日間、恐ろしいことに1日2公演しめて8公演のロングランが始まる。今から8公演やりきる演者やスタッフの皆さんは大変であるが、私の業務は一応完遂したわけであるので、ホットなうちに感想を書いておく。(あくまで私個人の感想であり、関連する団体の意向とは全然関係ないものと思ってください。)
そもそも
本件のボス、演出の西田くんと知り合ったのは6年前である。Stones TaroがSHU-MIというラップクルーを教えてくれて、彼はそのメンバーの一人であった。ユーモアがあり、嫌な意味ではなく文化的であった。
太郎のトラックに乗せてユーモラスに踏みまくるSHU-MIの”無尽”
そして時を経て彼はアートコミュニティスペースKAIKAの芸術監督であり劇団不労社代表となっていて、この度私にオファーをくれたわけである。
妙に今年は劇伴仕事が多く、アニメやドラマなどいろいろやっているわけであるが、一方で演劇に対するリテラシーはほぼないと言ってよく、あまり自信満々にできますよと言える感じではなかった。演目として選ばれた極東退屈道場の林慎一郎氏による戯曲「タイムズ」を読み、おいおいフィールだけで行くんかよこの文章はと頭がくらくらした。後述するが、ややこしそうな様子もあり、これをどうするんだと強い興味を持った。スタッフの人もいい感じであった上、京都芸術センターが家から歩いて5分であるため物理的な負担が低く、コミット度を高められそうであったので引き受けることにした。
(戯曲自体はこちらで読めます。ぜひ)
1.
とりあえず西田くんの手がけた2作品『MUMBLE -モグモグ・モゴモゴ-』、『悪態Q』の映像をもらって観た。前者はジビエ料理店を装いながら違法な動物取引をする話、後者はクリーピーパスタをモチーフにした話で、ものの捉え方がSHU-MIのリリックから立ち上がるパーソナリティとあまりに地続きであったのと、扱うモチーフ含め年とか属性が近いので”世代感”の共通部分が多く、妙な安心感を抱いた。
京都芸術センターで観劇三昧という演劇のサブスクサイトの存在を教えてもらった。演劇版NETFLIXですよ!と言いたいところであるが、それ自体をエンタメコンテンツとしてドライブさせるというよりは、どちらかというとアーカイブ装置としての機能が強いものであった。大体がカメラは定点一発で、撮影に工夫をしたようなものは多くなく、音声もエアー集音のみである。それこそNETFLIX的なもはやポルノ的とも言って良い味の濃いエンタメに慣れすぎていることもあり、そういった意味では、なんの知識もない素人にとって、お世辞にも見やすいとは言えない。観劇三昧での演劇学習はなかなかに体力がいるものであった。
そこで2015年に行われた佐藤信氏演出の公演を見ることができた。とにかく具体シーケンスを印象として並べて、抽象的な感情を立ち上がらせるという構成と、観劇三昧特有のリッチとは言えない情報量のマリアージュによって、1回の視聴では作品のフィールをうまく受け取ることができず、自分の鑑賞リテラシーの低さを思い知る結果となった。
今回鑑賞の邪魔をする要素が2つあった。具体シーケンスで取り扱う固有名詞のチョイスと、ちょうど一回りちょっと差がある世代差によるムードの不一致である。
1つ目。80年代作のゼビウス、93年にベイスターズになることとなる大洋ホエールズ、平成のメガヒット桃の天然水、小林旭……あげるとキリがないが、とにかく昭和から平成への変化の時代を想起させるような固有名が次々と登場する。おそらく我々がこれらを記号的な装置として理解できる最後の世代である。それより下の、DeNAやWiiで育った世代には狙った意図でそもそも機能しなさそうである。そして、理解できるとはいえ、大洋ホエールズのスーパーカートリオが……みたいなくだりが素直に世俗要素として適切に働いているかは謎である。屋敷なんてパワプロのOB選手で使った以外の接点ないし!
さらに厄介なのが2つ目。ビッチの連呼、頻発される下ネタ、ホーキンス博士いじり、童貞いじり、外国人や女性性の取り扱い……。悪い意味での時代の空気感がふんだんに注入されていて、そういった表現を含む作品がそれだけを理由に悪くなるとは思わないが、そのまま擦るにはガッツがいると感じた。うまく見せないと、ここだけで脱落者が出そうである。
逆にポジティブな面として、作品の持つコラージュの感覚は非常に自分の気質と非常に相性が良かった。とにかく質感の異なる要素を時間軸上に並べて、新しい感覚を立ち上がらせようという試みは良く理解できたし、演劇というフォーマットへの不慣れさも相まって、かなりフレッシュな感情を自分にもたらした。
この時点では、こういった要素を西田くんがどう観せようとしているのかは、正直さっぱり検討がつかなかった。
2.
俳優陣を決めるオーディションが終わり、稽古が始まった。自分にとっては全てが新鮮なわけであるが、最初にくらったのは”演者がみな堂々と、デカい声で発声する”という事実であった。
俳優陣はみな演劇経験者であるわけであるから、堂々と、デカい声で発声するなんてことはあまりに基本的なことであるが、正直、日常で生活する上で、人が堂々と大きな声で喋る場面に遭遇することは、実のところほとんどない。
C4Pなる概念を提唱しようとしている自分であるが、”自分らしさ”みたいなものを発現するための必要条件は、ある程度堂々とすることであると考えている。そういう意味で、堂々と、デカい声で発声する訓練を完了している演劇経験者、ないしはそのコミュニティは素晴らしい。それだけで妙に輝いて見えた。これだけでも、演劇をずっと続けている人の気持ちが理解できた。
今回は作品の作り上、ヒロインと結ばれキスをする、といった記号的な展開や、いわゆるクリフハンガー的な展開、衝撃な裏切りや大どんでん返し、仰々しい伏線回収など、プロット上のピタゴラスイッチ的装置があるわけではない。簡単にいうと、要するにどういうストーリーなの?と聞かれた時に答えづらいような作品であるということである。それ単体や、シーケンスそのもの自体がどうというわけではなく、コラージュの集合としてとにかく最後になんらかのムードを立ち上がらせないといけない。良し悪しはそのムードの方向性と強度で決まるわけであるから、少なくともやる側はそのムードを共有していたほうがいい。そのために序盤は「時間とは?」みたいなレベルのディスカッションから始まった。これは自分好みの進め方であった。西田くんがエントロピーの話をしていた。自分は物理化学のバックグラウンドが一応あるので「お、ギブズエントロピーの話でもしますか?」と一瞬思ったがそんな機会はなかった。とにかく、ロジックだけでは辿り着きづらいところに行こうとしている作品であるから、受験勉強のような真面目すぎるアプローチでは少し難しいということである。
とにかくグルーヴを掴まないといけない。近所だったので、とりあえず芸術センターに行き、稽古を眺めた。並行して勘で数曲作った。(そしてその大半は使うことはなかった。)
3.
初の通し稽古。この辺でようやくムードをつかみ始めた。当たり前であるが、みな大体のセリフを覚えていい感じにやっていて、「こんな序盤で結構仕上がってるんですね」と尋ねると、西田くんは「いや、これはまだ2,3割くらいっすよ」と答えた。その時はここまで滞りなくやれてて2割ってことはないだろう、と思ったが、今思うとあながち大袈裟ではなかったと感じる。
2時間程度の通し稽古の映像に当てる形で一気に曲を作った。30曲程度作ったが、非常に楽しい作業であった。ラストシーン、2015年の佐藤信氏演出verはテクノからゼビウスモチーフのゲームサウンドを経由しクラシック風の曲でコンテンポラリーな振りが当たるといった感じであったので、ここだけは違うアプローチがしたいとかなり意識した。前例がなかったらテクノっぽくしていた可能性は高かった。
作った中で特に思い入れがあったわけではなかった1曲のリズムパターンを西田くんがメインに使いたいとのことだった。意外であったが、腹落ちはした。クラブミュージック的な反復のカタルシスにこの謎のリズムで到達することを目指した。
4.
音響担当の林さんと甲田さんが穏やかかついい人で助かった。林さんには演劇音響の基本的なことを教わった。甲田さんは使っているヘッドホンがollo audioのS5XとYAMAHAのMT8で、そんなどっちも自分と同じことあんのかよと思った。
8月中旬あたりから、美術、小道具がどんどんと出来上がっていって、ムードの共有が加速した。振り付けの櫻井さんのアプローチを眺めながら、ラストシーンのサウンドの方向性が固まった。なんとなくバイブスが出るかと思い、それ以降はほとんどの曲を稽古を眺めながら、その場で地べたや椅子に座って作った。これもまた楽しかった。広告の音楽をもうかれこれ10年以上作っているが、大体東京で仕事が回っているので、京都に住んでいる自分は恐ろしいことに大半の人とリアルでの関わりがない。こうやって同じ部屋で、なんとなく雰囲気を共有しながら曲を作れるのは楽しく、そして楽であった。演者からするとずっとヘッドホンしてパソコンしてる謎の人間がいて怖かったかもしれません、すんません。
5.
18日の通しリハで、今回のメンバーで最終的に発生させられるフィールがどういったものなのかがなんとなく理解できた。これが戯曲を書いた林慎一郎氏の意にどの程度沿っているのか、どの程度西田くんの元々の想定通りになっているのかは完全に不明である。が、かなり良い仕上がりであるように感じた。単純に強度があり、そして謎感情が湧く。食べたことがない料理を食っている気分になることができた。ずっと自分の曲が流れているにも関わらずである。演者含め他の人がどう感じているかは知らないが。
6.
最終ゲネが終わった。やはり知らない飯を食っているような気持ちになる。私の仕事は終わっているので、純粋に鑑賞者の立場で楽しみはじめている。一方、演者は明日から8回演じ、スタッフは8回オペをする。ただでさえ反復にフォーカスしている部分があるのに、公演も8回やるとなるともう最後は凄そうである。
とにかく、非常に良いメンバーであったと思う。不思議な脚本を前に、部分を切り取るとなんなんだという要素を堂々と演じ、時間軸に配置することで知らないフィールを発生させることに成功している。個人でも、機械を使って、音楽というフォーマットで似たようなことをやろうとしてはいるが、複数人で、生身でやるのはやはり一味違う。なんて素晴らしい。最後にはどうなるのか楽しみです。是非観に来て下さい。演者の皆さんは心から応援しています。