The Blue Envelope #64
東京に来るときは
#ITBS_text
自分は京都に住んでいて、イベント出演、レコーディング立ち会い、制作、打ち合わせなどの様々な理由で月に1-2回は東京に行く。もうかれこれ10年くらいはそんな感じである。
そこで、「次東京に来る機会があったら飲みに行きましょう!」というフレーズを、いろんな人から、自分はもう数えきれないほど言われている。それは本当に実現されることなんてほとんど考えていない社交辞令の場合もあれば、純粋な善意や好意と共に、本当にそうしたくて言ってくれている場合もある。
20代の頃は、フルタイムで働いていて、出演や打ち合わせ、なんらかの制作のためになけなしの時間を捻出して東京に行っていたこともあり、単純に時間や大量のキャパの余裕がなかったのと、まだ卑屈さが残っていた関係で、そんなことを言われるたびに、「なんでおれが東京にくる前提なんだ、フェアじゃないな」といちいち思っていたのだ。おれの心のインターネットの戦友(であると勝手に思っている)くどうれいんさんもしばしば似たような話を各所でしていて、毎回そうだそうだ!みたいな気持ちになっている。おれが京都、あなたが東京にいて、真にイーブンな態度を取るのなら、会う場所もまたフラットに、どちらの近所で催されるかを平等に話し合うべきであるのだ。
とはいっても、東京の人が京都で用事があることは基本的にほぼなく、逆におれは東京に来る用事がある。じゃあ東京でタイミングが合うときにでも、と考えるのは自然である。会うべきは東京にて。これはある程度は妥当である。
似たような話題として、「京都に住んでいるんですか、いいですねえ。東京は〇〇な理由でクソなんでそっちが羨ましいですよ」みたいなことを、言われるたびにムカついていたという話もある。〇〇に代入されるものは別になんでもいいが、大体が「人が多すぎて」である。
東京の魅力の源泉は、その圧倒的な人口密度にある。「人が多すぎる」からこそインフラが発達し、多様な需要があり、他の土地ではありえないような商売が成立する。だから仕事が桁違いにたくさんある。特にエンタメ分野と、それに伴う娯楽の充実は群を抜いている。その恩恵に散々与っておいて、そのデメリットだけを語られてもという話である。そりゃピーキーな街であるのでクソな部分もある。が、みんなプラマイを差し引いた本当の意味では、東京をクソだと思ってはいない。だから人が増え続けるし、後から地方にわざわざ移住する人はそうそういない。そこを棚に上げた話は正直全く響いてこない。ドが付く田舎があり、郊外があり、地方都市があり、東京以外の都会があり、東京がある。どのレイヤーから見ても、上層は妬ましい。現実を見ると、大抵の人はこっち側が羨ましいなど思っていないのだ。
これも意地の悪い見方である。「京都、いいですねえ」みたいなのは世間話であり、天気の話みたいなものである。その程度の温度感で振られた話題に烈火の如く怒り出すのは正気ではない。だいたいは普通に、他意なくいいですねえ、と言ってくれている。
自分の卑屈さを抜きにして、地方住みを格下として扱ってくる人は実際に存在する。実際問題、音楽家として暗に示唆される”格”みたいなものが地方に住んでいるとなかなか上がらない。これは自分の目下の課題である。この理由は非常に単純で、多くの人が関わったり、規模が大きいことに関わっている人はすごく見え、逆にそうではないとしょぼくみえるからである。個人レベルの感動の程度で言うと、100人キャパのライブハウスとドーム公演に差はないが、権威性というか、客観的なすごそうさは雲泥の差である。前回の話にも通ずるが、”すごそうさ”や、そこからくる”格”みたいなもののみをあてにして価値判断をしている人を自分はかなり軽蔑している。結局、「次東京に来る機会があったら飲みに行きましょう!」「京都、いいですねえ!」自体が嫌なのではなく、そういうことを言いがちな人の一部が纏う、”すごそうさ”信仰を基準としたムーブに対してムカついているだけという話になるのだ。
ここで一つ白状をしておくと、自分はとにかく他人に優先順位をつけるのが嫌なだけなのだ。「次東京に来る機会があったら飲みに行きましょう!」と言ってきた人が5人いたとして、月一でそういう場を設けるとすると、ひと月に一人しか会うことができないわけであるから、5人目と飲みに行くのは半年後である。他人になんらかの尺度で優先順位をつけて、低い人は後回しにする、みたいなのが嫌いなだけなのだ。誰かを後回しにして、誰かを選ぶくらいなら、誰も選ばない方が気が楽である。そういった理由で、自分は基本的に誰も誘うことはない。誰にも会わず、用事が済んだらすぐ帰る。ナイトイベント出演時はホテルすら取らず、朝の新幹線に乗って帰る。
京都に住み、会いにきてくれた人とだけ会う。わざわざそこまでしてくれる人というのは自分に興味を持ってくれているので話は早いし、もともとそこまで社交に意欲もないので、そういった人間とだけ深い関係を築いていれば人生というのは事足りるわけである。幸い、ミュージシャンという属性は、各所でライブをしたりすることもあり、音楽友達は普通の人よりはよく関西に来る。正直何も困っていない。
一方で、最近は、こういった態度にある種の未熟さを感じたりしている。そもそも、自分は小さい頃から友達を積極的に誘って何かをすることがほとんどない。偶然、運よく誘われ続けてさみしい思いをせずに今に至っているだけであるので、誘う能力が十分に身についていない。そのくせ偉そうに、地方住みという”ふるい”によって、さらに追加の選別みたいなものを経た人とだけつるんでいる。
音楽をはじめとし、創作物に対して”能動的に選び取る”ことに異常な執着をしているくせに、他人が絡んだ瞬間に全ての選択を放棄し、流れに任せる傾向にあるのは、様々な要因に起因する、かなり根深い、どちらかというと良くない気質である。優先順位をつけないというのは、全員を一位にすることではなく、むしろ全員を最下位にしていると言ってよい。自分かわいさでする悪しき行為である。
ここでややこしいのは、すごそうさ信仰をもとにする軽薄な発言に怒ることと、他人に優先順位をつけられず、誰も誘えないことは、根を同じくしているという点である。結局は人を物差しで測ることへの拒否であり、それを向けられているのが他人か自分かの違いでしかない。測られるのが嫌いな人間は、大抵、測るのも嫌いなのだ。
そんなことをずっと悩んでいたが、最近は謎の解決策に着地しつつある。自分も「京都に来るときは、飲みに行きましょうよ」と言えば良かったのだ。言われてムカついてしまったようなことを逆にいう、ミイラ取りがミイラになったような話ではある。悪口を言われたから言い返すみたいなわけではなく、これは、優先順位をつけたくない人間にとって、誘いの形式としてよく機能するのだ。宙ぶらりんの条件節のついた、無責任な誘いを、卑屈さなしでできる程度に自分は大人になったのである。

