The Blue Envelope #63
"Past Self" in Stereo
#ITBS_text
“Past Self” in Stereo
自分の中ではやりすぎてだいぶ飽きているが、実はあまりリリースできていない路線のスタイルとして、直球のカットアップハウスがある。Akufenのサンプルエディットに魅せられ、それをパクるべくありえない曲数の二番煎じトラックを量産した時期もある。好きすぎて逆に嫌いというか、影響がモロすぎて恥ずかしいというか、なんとなーく距離を置き続けて今に至るわけであるが、in the blue shirt令和最新版カットアップハウスとして気分転換に作ったのが、”Past Self”というタイトルの楽曲である。
2025年5月の森道市場ではもうプレイしていて、案の定作った後すぐに飽きてしまって放置していたわけである。他方、事実として言うところのAkufen式ハウスは恐ろしいことに2015年作”in and out”以来リリースされていない。いい加減なんか出したいが、しかし出すにしてもなんかしらの新機軸を導入しないと意味ないなーと思案した結果、AIに言葉を喋らせて、モンタージュ的な編集での演出をしようというアイディアに至ったわけである。
なんとなく”若気の至り”みたいなものを取り扱いたいという考えはあって、もともとは”Foolish Youth”という仮タイトルをつけていた。若気の至りという言葉はヤンキー武勇伝的な文脈で使われがちである。一方オタク辞書には”黒歴史”という言葉もある。ヤンキーは自ら武勇伝を語り、オタクは黒歴史をひた隠し、抹消する。そのどちらも性に合わない。ここで、ヤンキー武勇伝とオタク黒歴史の間のニュアンスを狙うことにした。あくまでインターネットとかデジタルのモチーフにはしたいという思いから、とりあえず以下の英作文をした。
Everyone’s got their share of foolish youth,
a folder full of tiny disasters and big lessons.
Don’t delete your “Past Self”—
Just hit save and keep running!
誰にだって若気の至りはある。
小さな失敗と大きな学びが詰まったフォルダ。
「Past Self」を削除してはいけない。
そのまま上書き保存して、走り続けよう!
可能な限り、過去にインターネットに放ったものは消さない、という自分の謎のポリシーを下敷きに、インターネットっ子として”フォルダ”、”保存”といったデジタルなメタファーを入れ、人生このまま行くぞ、という気持ちを込めて書いた。この文が妙に気に入ったので、AIに読み上げさせまくり、編集して、”Past Self”という楽曲は完成した。
最初の13秒で編集に飽き、後半真っ黒のありえない告知動画
最近のリリースの中で最も軽薄な曲であるが、そんな事実とは裏腹に、恐ろしいことに2つのMVが公開されている。一つはAMUNOA、もう一つはMirrorboy氏によるものである。驚くべきことに、2人ともおれが頼んだわけでもないのに映像を作ってくれたのである。さらにおもしろいことに、二人は作家としてこの曲を反対側から眼差した。AMUNOAはこの曲をおれの人生の物語と捉え、有村という人間の”Past Self”を描いた。みらぼさんも同様に、鴨川デルタを”若気の至り”のメタファーとして活用し、同じようにおれの人生を取り扱っているとみせかけて、(おれの勝手な解釈であるが)この曲にみらぼさん自身の人生を投影したのだ。
AMUNOAは年も近く、長野で活動していた時期が長いこともあり、同じ地方プレイヤーとして割と似通ったマインドを持っているように感じる。一方で自分よりは幾分硬派であり、もう少し無頼で、ストイックである。細かい話は特に聞いていないが、この曲のテーマが、なんらか彼に訴えかけるなにかがあったのだろう。おれも30超えてからなんか色々あっていきなり会社を辞めた。AMUNOAも色々あってずいぶんと長野に残ったのち、色々あってかなり遅めの上京をした。概要欄にも書いたが、過去の振り返り、というのは引きで見ているという意味では客観的であるが、自分のことであるので極めて主観的でもある。このバランスが面白い。過去をどれくらい大げさに捉えるか、もっというと”物語”としてどれくらい美化するか、は性格によるところが大きい。自分はどうもややオーバー気味に、過去をエモくとらえてしまう傾向がある。
さまざまな出来事を経て振り返ると、多種多様なろくでもない記憶が蘇ってくるが、基本的には否定したり抹消したりせずに咀嚼し、受け入れて進んでいくべきである。口で言うのは簡単であるが、そういった感覚が、ようやく実感を持って取り扱えるようになるのが30代半ばなのかもしれない。
一方、みらぼさんはというと、鴨川デルタを青春(とそれに伴うやらかし)の象徴として取り扱った。自分史というよりは、もう少し一般化がなされているともいえよう。そして一般化がなされていると見せかけて、山田尚子監督や京アニの諸作が好きすぎるというバックグラウンド由来の、強すぎるエゴも滲んでいる。
みらぼさんの魅力は、その衒いのなさにある。クラブミュージックが好きだ、山田監督が、そして彼女が撮る京都が好きだ、映像を撮るのが好きだ、そういった打算なき気持ちは隠されることがない。自分と会ったときも面と向かって褒める。基本的に、年齢が上がるにつれて、こういった素直さは損なわれていくが、彼はそうはなっていない。要するに、自身のパーソナリティに殉じているのだ。おれのC4P作文に共感を覚えるのもそりゃそうである。(これに合わせていきなり過去の恋バナエントリがボムられたりもしている。凄すぎる!)
とにかく自分はこの動画作品を、高純度の自分語り作品として見ている。自分語りという言葉は、ユーモアの欠落した校長先生のような長ったらしいトークや、会話のキャッチボールが出来なさすぎるコミュ障に揶揄として向けられるケースが多いが、本質的には素晴らしい、そして今この現代に最も必要な営みと言っても良い(やや過言)だろう。正直、もうおれたちがインターネットでできることは自分語りだけなのだ。Create-for-Personality、と格好つけてはいるが、結局はCreate-for-自分語りである。よい作品はいつだって雄弁である。
よい創作物の定義を述べるのは難しいが、自分は「それに触れたら、いてもたってもいられなくなるもの」を作りたいという気持ちがある。ロックバンドのライブを観て、感情が昂って翌日ギターを買いに行ってしまう、みたいなことは起これば起こるほどよい。Past Selfという楽曲を通して、二人の人間のなにかしらのやる気を喚起し、作品を公開するに至れたことは、願ったり叶ったりであり、非常に嬉しく思っています。


past self ℒℴνℯ