The Blue Envelope #59
同人イズム(前編)
#ITBS_text
M3(音楽系の同人即売会)に参加するようになってかれこれ4年が経つが、明らかに盛り上がりが加速している。客観的な出せるデータなどは特になく、完全に印象レベルの話であることはあらかじめ断っておくとして、初めて参加した2022年と比べて、コロナ禍からの回復みたいなものを差し置いて有り余る何かを感じている。この状況に対して、考えることがありすぎるため前後編にわたってテキストを残しておく。
音楽系の同人即売会特有の、他ジャンルにはない特殊さの象徴がCDである。アナログというにはデジタルすぎるが、デジタルメディアとしては、令和の今となってはお粗末としか言いようがないそれが、売買されるメインの商材となっている。もう再生機器を持っている人の方が少ないような前時代の媒体が、恐ろしいことに主役の座を張っているのだ。
この状況の何が異常かというと、売り買いしている本人たちが、”なぜCDでないといけないか”を明確に理解していないように見える点にある。音質という意味でなら、48kHz/24bitのwavデータあたりをなんらかの方法でDLさせればよい。スペック上ではもっと高解像度にすることもできる。物理的なグッズとしてなら、もっと使い道のあるもの(例えばTシャツとか、キーホルダー)が存在している。「グッズ+DLコード」みたいな販売形態は、ずいぶん前からあらゆるところで試されているが、皆しっくりこず、結局はCDを売り買いしている、といった感じである。
自分も、このなんとも言えない”しっくり感”をもとに、いまだにCDをプレスし、販売している。1stアルバムが全国流通したのが2016年、10年にわたってCDを金を取って売っている身として、どういうつもりかを書いておきたい。
音楽という無形なものを愛するというのは、完全なアナロジーではいかないものの、かなり信仰と似た趣がある。信仰対象は様々であるが、神、ないしはそれに類するようなものは大体が無形である。無形であると、祈ったり、愛でたり、跪いたりするのに都合が悪いため、人々は絵画なのか、神棚なのか、像なのか、なんでもよいが物理的な象徴で代替するわけである。ここで、物理的な代替物はなんでも良いわけではないというのが重要である。仏を重く見るのであれば、その依代をその辺のちり紙に求めるわけにいかず、デカくて、荘厳で、神々しい仏像を用いる。イエスを感じるために身につけるそれは、丸でも三角でもなく、十字架であることが望ましい。とにかく、意味付けが強固であればあるほど良いのだ。もっとシンプルにいうと、野球選手にサインをもらうときは、色紙でも良いが、バットやボールだとより嬉しさが増すという話である。
ここで音楽に話を戻す。対応する物理媒体は、信仰対象との意味付けが強固であればあるほど良いと考えると、TシャツとDLコードのセットがピンとこない理由がすぐにわかるだろう。服も、無機質なデータも、音楽の依代としては不適なのだ。ここまで来ると、音楽ファンがレコードを愛する理由は明快である。空気の振動に対応する物理の凹凸が盤面に掘り込まれているそれは、ほぼ石碑のようなものであり、音楽への信仰を捧げる依代としてこれ以上のものはないと言える。
要するに、可能であるのなら、自分の音楽を販売する物理媒体はレコードであって欲しいというのが個人的な理想である。しかしながらそう簡単にはいかない。自分は世の中でもかなり少数の、個人でレコードを幾度となくプレスしてきた人間であるが、その面倒臭さと儲からなさはすごい。異国の業者と勘でやりとりをし、いいのか悪いのかもわからないテストプレスが届く。それに対してGOを出し、イマイチ信用しきれない金型が作られ海外でプレス。体積も重量もありすぎるそれは大抵スムーズに通関を通過することができず、なんかよくわからない金をいっぱい取られたりする。手元に届いていざ通販しようにも、デカさが半端すぎて送料が嵩み、個人レベルでは商売どころではなくなってしまうのだ。
音楽の依代として、そこらへんのグッズだと意味付けが薄弱である。レコードはその点は素晴らしいが、商品としての機動力が低すぎる。そんな現状で、その折衷案として浮上するのがCDである。データだけよりは有機的で、グッズだけよりは音楽的である。アナログというにはデジタルすぎるが、デジタルメディアとしては終わっている、このメディアだけが、いまだに、”もっともマシな物理媒体”として、要件を満たし続けるのだ。
同人即売会とは、すなわち八百万の神を集め、信仰する神事のようなものであると自分は見ている。神様が来ているのだから、依代が必要である。その時代錯誤に光り輝く謎の円盤のみが、おれたちの信仰を引き受けられるのだ。(後編へ続く)

