The Blue Envelope #57
カルチャー&フロウ
#ITBS-nice-things
最近の自分の活動を極端に抽象化すると、「人にやる気を出させる」ということに終始するような気がしている。やる気を出させる対象は8割くらいは自分で、残りは他人である。
自分はというと今年で35歳になる。ありがたいことに仕事は途切れることはなく、今年も引き続きミュージシャンの顔をして暮らしている。しかしながらストイックさや初期衝動みたいなものは、当たり前ではあるが薄まる一方で、いかに自らのやる気を出させるかというのが重要になってくる。自分の目標はアルバムを10枚リリースすることであるから、こんなところでグダグダしているわけにはいかない。
京都精華大学で働き始めてからの一つの衝撃は、音楽専攻に来るやつが別に音楽を作ろうとしないことである。課題のみをこなし、そのままなんとなく卒業する。それは寂しいが、決して悪いことではない。しかしどうにかして、もっとやる気を出してもらう方法はないかと考えたりしてしまう。
近い領域の別の話として、福祉としての文化助成みたいなもののあり方として、自分がするべきであると思っている営みはざっくり2つにまとめられる。一つ目は、いい歳こいた大人が、利益を度外視して、無邪気に、なにかに夢中になったりガンギマリになったりしている姿を積極的に見せることである。2つ目は、ごくシンプルに、インフラを整えることである。
1つ目に関して、サラリーマン家庭で育った自分は、親(特に父)がハメを外したり、家の外で社会的に敬遠されるような行為をしているところをあまり見たことがない。変な髪型や服で着飾ってみたり、一般的に理解し難い趣味に傾倒したり、人前で奇行に走ったりとか、そういったことはあまりない。無意識に、大人になったらそんなことはすべきではない、みたいな規範意識が形成されている。そんな環境で育った人は多いであろう。
一方自分はというと、自作の曲を大衆の前で再生し、つまみを捻りながらアヘアヘしている。なぜそうしているかというと、自分がそういう人間であり、かつ、そういう大人がいることで安心する人間がいると信じているからである。いい歳こいてなにやってんだと思う人も多いだろうが、そんなことは思う必要はない。いい歳こいてなにやってんだマインドを世の中から取り除くことが、世の中を良くする。「大の大人がそんな感じで暮らしていてオッケーなんや」と人に思わせること自体が、世を文化的なものにするために必要であると確信しているから(無意識的に、あるいは意識的に)そうしている。人に迷惑をかけない範囲ではもちろんのこと、なんなら多少迷惑をかけあってでもそうすべきだと思っている。
後者はもっとシンプルで、文化活動をするためのインフラを公私の援助で充実させるべきという考えである。吹奏楽部を卒業したやつが楽器を演奏しなくなるのは、音楽に興味がなくなったというよりは、金管楽器を吹ける場所がないからだ。家から徒歩5分の距離に、なんらかの形でトランペットを吹きまくれる施設があればもっと皆トランペットを吹くようになるだろう。家の横にバスケットコートがあったらバスケ部に入る確率も幾分上がるというものである。
後者に関して印象的なムーブメントとして、立命館大茨木キャンパスで行われている”FLOW”というイベントがある。若者が主催するオーディオビジュアルの催しであるが、そのきっかけがおもしろい。
立命館大茨木キャンパスのTERRACE GATEという建物に、350インチのそれはそれはバカでかいLEDディスプレイがある。なんなら下手な映画館よりでかいんじゃないかというそれは、学内のみならず、学外の人間も予約すれば自由に使うことができる。
細かい機微を省略すると、木村さんと米田さんという学生2名が「このディスプレイ使ってなんかしらの映像出したいな」と思い立ちイベントを立ち上げ、同じようになんとなくバカでかディスプレイでなんかしたいと思った人間が集まってきて、今に至る。 初めて彼らから連絡が来た時も何か感じるものがあり、自分が彼らにイベントに出演する代わりに米田さんに蓮沼執太氏との2マンのVJをやってもらったりした。すると「VJもやってくださいよ」と頼まれ、また彼らのイベントでなぜかVJをし、そしてまたマルチネの周年に彼らをVJで送り込んだりなど、終わりなきギブアンドテイクの輪廻が続いている。(今回Flow vol.10に出たのでまた貸し+1ということでまたおれは彼らに何かを頼むことができる!)
知識もなく、2基のスピーカーの出力キャパいっぱいで音を出しながらVJをしている様子をみかねた大学の優秀な機材担当の方が音響面でテコ入れをし、インフラが整ったのち、運営メンバーも増え、重ねたイベントはついに10回目を迎えた。
もともとの動機が「でかい画面でなんかやりたい」程度の無邪気であったため既存のルールや作法にあまり囚われていない。まずもともとのきっかけがそうであるから、映像と音楽に特に主従関係がなく、等価に扱っている。適当にデカい音が鳴らしたいやつとでかい画面に映像を出したいやつがペアになったり、一人で全部やったりする。クラブマナーにも則っていないので、アクト間は音が止まり転換をする。音楽の内容も映像の内容も指定はないからみんなバラバラである。出演も公募であり、映像か音楽のどちらかしかやっていない場合はその旨を告げると、運営がペアになる担当を見繕ってくれる仕組みもある。そしてなんと全てが無料である。
最初は荒かった参加メンバーの技術面も、いまやずいぶんな仕上がりを見せていて、客観的にみてもおもしろい表現が多々みられる。それと同時に、元々のコンセプトは維持されているので、初めてやりますみたいな人が当たり前にイベントに出演できる。
最初の「人にやる気を出させる」にはどうすればいいかに対して、「350インチのLEDディスプレイを自由に使わせればいい」という回答は実に痛快であり、文化サポートの理想的な例であるように見える。加えて単純におもしろいので、彼らに呼ばれたら予定が合う限りイベントに出演するようにしている。(もちろん気は使うが)大学生に混じって、30代半ばの人間が無邪気に遊んでいる姿を積極的に見せることも大切であるからである。福祉としての文化助成に自分が必要だと思っていることが、結果として全て含まれている。
再現性を持って毎回うまくいくとは思わないが、このイベントの成長には、なにか自分の考える”よいコミュニティ”に必要なヒントが大いに含まれていると感じている。世が若者に、そして自分にたいにて与えられるやる気創出装置とはなんなのか。そしてその創出されたやる気を維持するための仕組みとは。おれもまだまだ頑張んないとなーと思います。

