The Blue Envelope #56
日本画アヴァンギャルド KYOTO 1948-1970
C4P作文は終わったけどメルマガは続きます。文章ジャンキーになってしまったので。
#ITBS-nice-things
去年の年末に”Past Self”というシングルを出した。若気の至りがテーマで、「過去のいろんなことを無かったことにすんなよ」というメッセージを込めるべく、”Don’t delete your “Past Self”—Just hit save and keep running!”という文章をカットアップして再構築するというアイディアの曲であった。この曲に関連して、京都市京セラ美術館での特別展”日本画アヴァンギャルド KYOTO 1948-1970”が非常に良かったのでメモしておく。
1940年代以降に結成された3つの美術団体である創造美術、パンリアル美術協会、ケラ美術協会が展示の軸になっているが、これはどれも「旧態依然とした既存の枠組みをブチ抜いてやろう」という、京都発の若気の大イキリと言ってよいだろう。
1949年のパンリアル宣言の一節を引用する。
吾々は日本畫壇の退嬰的アナクロニズムに對してこゝに宣言する
眼玉を抉りとれ。四疊半の陰影にかすんだ視覺をすて、社會の現實を凝視する知性と、意慾に燃えた目を養おう。
感傷を踏みにじれ。因襲の殿堂を破壞して、廣い科學的文化的視野から傳統の力強い生命を發掘し、世界的地盤から古典を再檢討しよう。
温床をぶち壞せ。儼然たる重壓の牙城をなす封建的ギルド機構を打破して、自由な藝術の芽生えを育てよう。
かなり迫力のある文章である。眼玉は抉りとらないで欲しい。初期のパンリアル協会のテンションはだいたいこんな感じである。その丸10年後発足のケラ美術協会の宣言は短いので全文引いておく。
宣言
二〇世紀後半は宇宙時代だ。地球上の争いのごときは、宇宙からみれば夫婦げんかに過ぎない。ましてや日本の、しかもこの中の画壇の動きに至っては、まるで大海に浮ぶ水泡のようなものだ。われわれはこのような画壇の因襲を強烈な情熱で打破せんとする。芸術家の責務とは、人間が分解され、細分化される現代にあって、あらゆるものに力限りの抵抗をすることだ。そしてその反抗を通じて、真にユニークな絵画を創造することだ。われわれは宣言する。
①あらゆるスタイルにとらわれず、真に創造的な絵画をつくること。
②宇宙時代にふさわしい真のテーマを見出すこと。
③二〇才代の熱と意気とを武器に既成の概念に戦いをいどむこと。
「ケラ美術協会」会員はその名の示すごとく、細胞が分裂し、拡大するように、この運動があらゆる人たちに賛同されることを望み、ここに宣言書を発する。1959年12月23日
もう国家間の諍いなんぞ、銀河系から見たらカス。情熱を持ってヤバい絵を描きます。ブチ抜きの果てに宇宙を見ているわけである。とにかく鼻息の荒い若者にとっては、花鳥風月を主なモチーフとした既存の日本画のカテゴリは狭すぎたわけである。
とにかくぼんやりと、漫然と取り組んでいるやつはおらず、作品群にもその鼻息の荒さが出ている。それだけでも見ていて痛快な気分になる。
加えて、とにかく周辺作家のヤング時代の作品がたくさんある。並行して同じように海の向こうでぶち上がっていたシュルレアリスムのモロ受けすぎる作品も多々あり、そういう意味で若い。SoundCloudでWave Racerを聴いては影響を受けてパクり、Rustieを聴いてはパクリ、ハドモを聴いてはパクり、独創性の乏しい三番煎じのトラックを作りまくっていた20歳前後の自分が思い出される。
この展示の素晴らしいところは、そのヤングガンたちの成れの果て、晩年の作品も併せて展示されていることである。ブチ抜きを志向した若者が、実際にそれを成し遂げたかどうかはさておき、その熱量を持って数十年取り組んだ果てというのは実に美しい。それぞれが全く違う地平に到達しており、若かりし日に掲げた日本画の概念の拡張は実現されたように見える。アツい気持ちで取り組めば、全員が例外なくめいめいの最終形態に到達する。おれの最終形態はなんなんだという気持ちになる。
ここ数日、アメリカがイランを攻撃した。「地球上の争いのごときは、宇宙からみれば夫婦げんかに過ぎない」——1959年にそう書いた若者たちの言葉が、妙に生々しく響く。大戦直後の京都で、こういった芸術のパトスの萌芽があったことは心に留めておきたい。冷笑やポジショントークをしている場合ではないのである。(展示変えがあるらしいのでもっかい行こうかなーと思ってます。皆さんもぜひ。)

