The Blue Envelope #54
自主制作のススメ
#C4P_demo
C4P作文の原稿が書き終わったので、メルマガでの配信も次で終わりです。
自主制作のススメ
プロとして音楽を作るようになってから、だんだんと気がついたことがある。みんな意外と自主制作をしないのだ。アーティストとして生きている人はともかく、作家業をメインにしているような人は、よりしない傾向にある。
広告業界なんかは顕著で、映像作品を作る上で、監督も、プロデューサーも、ディレクターも、あまり自主制作をしない。元々はしていたし、今もやれるもんならやりたいが時間が取れずにやれていない、という人と、そもそも興味がない人がちょうど半分ずつくらいのイメージである。
全てを一緒くたにはできないが、自主制作にあまり興味がない人の傾向は似ている。まずクオリティが高い人が多い。まあそうでもないと仕事でやっていられない。既存のフォーマットで、決められた高い作法で、高い点数を出す。その裏返しでもあるが、リファレンス偏重な傾向にあるように見える。そして要領がよい。手際よくやらないと、クオリティが上がらないからだ。
関西を中心に開催している音楽ワークショップ「Potluck Lab.」で頻発される出所不明の謎の標語「よくできた量産品より唯一無二のクソ」の精神を自分は極めて重視している。唯一無二の逸品を作りたいのはやまやまだが、唯一無二の逸品ガチャを回すには、クソを量産する過程が必要である。なぜかというと、唯一無二であるためには、成果が計算できない領域に突っ込んでいかなければいけないからだ。
「対外的に成果は計算できないが、好きだからやりたいこと」は世の中に溢れている。ニッチな基礎研究、マイナーな趣味、個人の謎の習慣。こういったものは、世の中に余裕がなくなると、いの一番にカットされるような領域である。余裕がなくなると、人はすぐクオリティを上げようとする。四の五の言っていられないからだ。クオリティの計算ができない領域を保全するには、強固なC4Pマインドを持つ必要がある。
自主制作の本当の意味は、作ったものの出来不出来ではなく、計算できない領域に自分を置き続けることにある。成果が読める場所にだけいると、読めるものしか作れなくなる。
逆説的だが、プロとして腕を磨けば磨くほど、要領がよくなるほど、よりクオリティを求められ、計算できないものからは遠ざかる。能力が上がるほど、最終成果物の見通しを正確に立てられるようになる。事前に見積もりが可能な上質さは、唯一無二のクソから離れたものである。「成果は事前に計算したいが、唯一無二のものが欲しい」というのは矛盾で、相当なわがままであるが、そのありえない欲求をぶつけられるのがクリエイターの憂いである。それを望むのはよいが、無理難題であることを骨身に染み込ませる必要がある。
だから意識的に、定期的に、成果が読めない場所に身を投じることが必要である。そのために自主制作を勧めたい。自主制作とは、迷子になりにいく行為である。迷子の足取りは無駄が多い。しかし、そんなことばっかりやっているやつの手なりは、自分には美しくみえるのだ。無駄だらけの迷子野郎になる勇気はありますか。

