The Blue Envelope #53
スワイプ&スワイプ
#C4P_demo
今日大学で学生に「ショート動画見ちゃってる時、搾取された気持ちになるんですよ!だから搾取する側に回りたいんです!」って言われて、あまりに現代的な考え方ですごいなーと思った。そしたらこの原稿の存在を思い出した。本に入れるかどうかは五分五分で悩んでます。
スワイプ&スワイプ
TikTokやInstagramのリールで音楽が流れてくる。15秒、長くても30秒。キャッチーな部分だけが切り取られ、映像と合わせて消費される。スワイプすれば次が来る。また次も。気づけば30曲くらいを、ちょっとずつ連続で聴いている。おれたちは口を開けて待っているだけで、アルゴリズムが矢継ぎ早に、細切れのコンテンツを放り込んでくれるようになった。
これを「音楽を聴いた」と言えるだろうか。言えるとも言えないとも断言はしないが、少なくとも、過去に類を見ないかなり特殊な状態を迎えていることは間違いない。
本書で繰り返し述べてきたことを鑑賞に適用してみる。創作とは選択の連鎖である。何を使い、何を捨て、どう組み合わせるか。その選択パターンの総体がパーソナリティである。であるならば、鑑賞もまた選択の連鎖であるはずだ。何を聴くか。何を聴かないか。どこまで聴くか。聴いた上で、何を感じるか。好きだと思うか、もう一度聴きたいと思うか。
TikTokで流れてきた15秒をきっかけに、その曲なのか、出ていた人間のファンになって、他の作品も掘って、自分の好みを更新する。この過程が発生するならば、入口がバズであることに何の問題もない。むしろ、かつてはラジオやテレビがその入口だったわけで、メディアが変わっただけともいえる。問題は、15秒で完結してしまうことの方にある。入口はそのまま出口に繋がっていて、その出口はまた快楽の15秒ランドの入場口に繋がっている。
アルゴリズムにフィードを委ねた状態では、この選択の連鎖がほとんど発生しない。何を聴くかはアルゴリズムが決め、どこまで聴くかはフォーマットが決め、気に入ったかどうかは「スワイプしなかった」という消極的な反応だけで処理される。阪神ファンになって阪神を応援します!と自覚するチャンスも与えられない極端な形である。テクノロジーに決める手間も省いていただいているとも言えるし、自分で明示的に贔屓すら決められない悲しい状態とも言える。
意思決定の認知負荷を下げていくと、最終的にはマッチングアプリのようにLIKE/NOPEの二択を高速でこなしていくことになる。そして、判断の速度を限界まで早くしていくと、その基準は徐々にポルノ的なものになっていく。ポルノ的、というのは性的なコンテンツに限った話ではない。一瞬で快不快が判定でき、判定に思考を必要としない刺激のことを指している。反射で処理できるものだけが生き残る。甘いものは甘い。辛いものは辛い。かわいいものはかわいい。
ポルノ的であることの問題は、細かな差異が認識できなくなることである。50℃近い熱湯をぶっかけられたら熱い。基本全員そうである。逆に、ある景色を見てどう感じるかは人それぞれである。C4P的なおもしろさというのは、そういった、本来であったら見落としてしまうような細かな差異に宿っている。スピード的な意味での加速と、感情の機微は相性がいいとは言い難い。
創作のよいところは、その人にとって大切で、しかしながら他の人にとってはどうでもいいものを取り扱う部分にある。突き詰めれば突き詰めるほど、他人にとってはどうでもいいような変数を操作することになる。鑑賞も同じで、深めれば深めるほど人からは意味がわからない違いを追うことになる。
他の人にとってはどうでもいいものを取り扱うためには、アルゴリズムから選択権を取り戻し、自分の選択を自覚しなければいけない。なぜこの曲を聴いたのか。なぜ好きだと感じたのか。なぜもう一度聴きたいのか。この問いを立てるだけで、鑑賞は受動的な消費から、能動的なパーソナリティの探索に変わる。直情ポルノだけでは鑑賞者としてのパーソナリティは薄いままである。
最終的に行き着く先が15秒であるのならよいが、アルゴリズムの流れに乗せられて無自覚にトラップされるのはよくない。スワイプするならするで、根性を見せ、心の底から、真のスワイプをすべきである。

