The Blue Envelope #49
名無しさん
C4P_demo
名無しさん
自分の大学生活を要約すると、Twitterと電子音楽にのめり込んだ、の一言ですんでしまうといっても過言ではない。この2つには共通点がある。本名などの、いわゆる個人情報を明かすことが必須ではないのだ。
個人情報ダダ漏れでインターネットをやり続けているやつがなにをいっているんだという感じであるが、実はこの要素は、自分の価値観を大きく変えたといってよい。
プラットフォーム間で差はあれど、SNSはアカウント名と、視覚的にその人とわかる程度のアイコンの2つがあればよい。アカウント名はランダムな英数字の列であったり、記号であったりするし、偽名だったりもする。アイコンも、顔写真だったり、抽象的なグラフィックだったり、既存のアニメのキャラだったりする。むしろ、本名でやってねというルールが明記されていたFacebook以外は、それくらいの情報さえあれば十分であった。非常に限られた開示をスタート地点に、テキストベースの非同期コミュニケーションをすることになる。
インターネットや音楽経由で知り合った人の大半は、本名とか、普段どんな仕事をしているとか、どこに住んでいるとか、そういった情報をあまり知らない。仲良くしているうちに結果的に知ることもあるが、別に知らなくてもさして問題はない。
ジェンダーロールみたいなものは特にそうだが、本人が積極的に開示してない情報は、いい意味で、どうでもいいものとして取り扱えればベストである。外国人は出てけ、みたいなのも、見た目も含む人種や国籍みたいなものを大げさに扱いすぎているだけとも取れる。その辺の背景は認知の構造に十分すぎるほど作用しているので、あとはその個人の好悪のレイヤーと、それらから醸されるパーソナリティを摂取していればよい。
したくない話はしないまま、創作物を介してコミュニケーションするのは、オブラートに包んでいるとも言えるし、より本質的とも言える。創作物にはその人のパーソナリティが発現している。一方で、具体的な情報が圧倒的に不足しているので、作品のみからその人の人となりを全て見通すことはできない。その両面が自分は好きである。
もうずいぶんやっているのに、作品と、その作り手のペアの組み合わせに対して、信じられなかったり、意外だったりしたことが驚くほどない。限りなく全て、この人あってのこの作品だなと、常に納得できている。その嘘か本当かわからない、その納得感のみで、自分は十分であると感じる。
自分のワークショップに何回も来てくれて、散々曲を聴いている人の本名も、普段何をしているのかも正直さっぱりしらない。その一方で、その人の創作から立ち上がるパーソナリティを通して、その人のことがわかったようなつもりになっている。その幻想みたいな気分を、とても美しく感じるのである。

