The Blue Envelope #46
C4P数理モデルver3
C4Pの数理モデルver3+Q&A
C4Pの数理モデルが出ました
https://www.dropbox.com/scl/fi/u1dv2oy72qzzzlcfrrgpl/C4Pver3.pdf?rlkey=mxg0y3w2pjltx297y0ezf8m55&dl=0
前回、数学が苦手な人を置き去りにしてしまった反省から、おまけとしてQ&Aを作りました。モデル内で使用される記号は出てきますが、まあ大体雰囲気で読んでいただければと思います。かなりモデルが整理されたので、かなりの質問に回答することができます。くるところまできた感じがある。
Q1. 何でこんなことを始めたの?
考え方を示すのが目的であって、モデルを運用して何かをしようとはしていない。 C4P作文をあてもなく書きまくった結果、 自分が何を主張しているのかを自分で整理する必要が出てきたからである。 「クオリティとパーソナリティは独立」 「客観的クオリティは幻想」 「創作を通じて自分を知る」 といった主張を繰り返しているうちに、 それぞれの主張が互いに整合しているのか、 矛盾していないかが気になりはじめた。 日本語は便利だが曖昧なので、 構造を一回ちゃんと書いて確認したかった。 例えば、ver2では実際に矛盾があり(‖𝒙ᵢ‖がクオリティではなかった件)これはおれ自身が作文時点でうやむやにしていた部分があったことを意味する。それが本稿ver3の作成過程によって解消され、理解を深めることができた。この整理は作文にも影響すると思われる。最初は単なる数理ポエムであったが、思った以上に実務的なよい効果があった。
Q2. 数式にする意味はあるのか。日本語で十分説明できるのでは
本モデルの価値は、日本語の議論だけでは曖昧になる区別に 判定基準を与えることにある。加えて、おんなじ質問ばっかされるのに日本語だけでは毎回説明が面倒なので、回答をするためには構造を正確に記述する必要があった。 Q4がその典型例で、「過去の自分を超える」が ℱᵢの拡大なのかδᵢの方向変化なのか、 日本語では一括りにされる体験をモデル上で分離できる。 Q3もそうで、「速弾きが好き」と「速弾きが上手い」を Ψᵢとℱᵢとして別の量に帰属させることで、 日常語の「パーソナリティ」が指しうる複数の意味を整理できる。 この分離が使えるかどうかは読者次第であるが、 少なくとも筆者は使えている。
Q3. 「技術だけを高め続けたい」はC4Q的態度だが、それもパーソナリティと呼べるのでは?
呼べる。ただし、本モデルにおけるパーソナリティの定義とは位相が異なる。
例えば、ギタリストが速弾きの精度を極めることだけに関心がある場合、 この人はℱᵢの拡大を追求している。 モデル上これはC4Qのレイヤー1(技術)であり、 δᵢの方向やその蓄積とは独立なパラメータである。
しかし、「速弾きを極めたい」という志向そのものは、 この人の選好構造Ψᵢに由来している。 遅いアルペジオではなく高速フルピッキングに魅力を感じる、 という𝒱ᵢ上の方向は確かにこの人に固有のものであり、 日常語では「個性」「パーソナリティ」と呼ばれうる。
本モデルの用語法では、Ψᵢの構造(何に魅力を感じるか)は パーソナリティの構成要素であるが、 ℱᵢの拡大行為そのものはパーソナリティの発現ではない。 「速弾きが好きだ」はパーソナリティ、 「速弾きが上手い」は技術。 好きであることと上手いことは別の量であり、 本モデルではこの区別を維持する。
さらに、速弾きを極める過程で 「自分は実は速さそのものではなく、 速いパッセージの中の微妙なダイナミクスの変化に惹かれていたんだな」 と気づくことがある。 これはΨᵢの変容であり、C4P的帰結である。 ℱᵢの拡大(C4Q的行為)がΨᵢの変容(C4P的帰結)を 副産物として引き起こした例であり、 行為は一つだが変化は2つの量に分解できる。
Q4. 「過去の自分を超えていく=質を高める」はC4Q?C4P?
どちらでもありうる。何を超えているかによって決まる。
以前できなかった技法ができるようになった → ℱᵢの拡大 → C4Q
他人に「良くなった」と言われた → Y(𝒂)の増加 → C4Q
意図通りの音が出せるようになった → ‖ε‖の減少 → C4Q
前と違うものを作りたくなった → δᵢの方向変化 → C4P
以前は聴こえなかった要素が聴こえるようになった → Φᵢの変容 → C4P
自分がこれを好きだったと気づいた → Ψᵢの変容 → C4P
自分の癖や傾向が見えてきた → δᵢの蓄積 → C4P
「過去の自分を超えていく=質を高める」という等式自体が、 2つの異なるプロセスを束ねている。 それを分解する道具を提供するのが本モデルの仕事である。
Q5. インプットが大事って言うけど、それはC4Q?C4P?
場合による。何のためのインプットかで決まる。
特定の技法を学ぶために教材を摂取 → ℱᵢの拡大 → C4Q
多くの作品を鑑賞し新たな概念を獲得 → Φᵢの変容(𝒮ᵢの次元追加) → C4P
鑑賞を通じて自分の好みに気づく → Ψᵢの変容 → C4P
同じインプットがC4QとC4Pの両方に効くことは珍しくない。
Q6. リファレンス曲に寄せるのはC4Q?C4P?
場合による。何のために寄せているかで決まる。
売れている曲に寄せてYを上げたい → Y(𝒂)の最大化 → C4Q
あの手法を自分でも再現できるようになりたい → ℱᵢの拡大 → C4Q
あの曲のここが好きで、自分でもやりたい → δᵢに従ったuの選択 → C4P
寄せる過程で新しい構造に気づいた → Φᵢの変容 → C4P
多くの場合、これらは同時に起きている。
Q7. 好きなアーティストに影響を受けているのはC4Q?C4P?
影響の受け方による。
あの手法を使えるようになりたい → ℱᵢの拡大 → C4Q
あのアーティストみたいに売れたい → Y(𝒂)の追求 → C4Q
聴こえなかった要素が聴こえるようになった → Φᵢの変容 → C4P
自分もこういう方向に行きたいと感じた → δᵢの方向形成 → C4P
多くの場合、これらは同時に起きている。
Q8. コンペに出すのはC4Q?C4P?
基本的にC4Qである。
入賞を目指している → Y(𝒂)の最大化ゲームへの参加 → C4Q
審査基準に合わせて𝒂を調整 → Y(𝒂)の代理指標の最大化 → C4Q
仕上げる過程で自分の方向が見えた → δᵢの蓄積 → C4P(副産物)
「コンペがなければ作らなかった」作品から自己発見が起きることは珍しくない。
Q9. 何も考えずに手を動かしてたら良いのができた。これはC4Q?C4P?
行為の時点では判定できない。結果で決まる。
他人に「いいね」と言われた → Y(𝒂)が高かった → C4Q的成果
「自分はこういうのが好きだったのか」と気づいた → δᵢの事後的な蓄積 → C4P的成果
δᵢが不明確なままuを選んでいる状態であり、 ステップ2(意図の認知)が曖昧なままプロセスが進行している。 行為が先で意図の認知が後、という順序はモデル上も許容される。
Q10. 締め切りがあるから妥協するのはC4Q?C4P?
どちらでもない。モデルの外の制約条件である。
‖ε‖を十分小さくしきれないまま打ち切り → プロセスの中断 → C4Q/C4Pの外
「これでいいか」と思える → δᵢとの距離が許容範囲 → ---
「これは自分の作品ではない」と感じる → δᵢとの距離が大きい → C4P的な不満
打ち切りの判断は時間や予算の制約であり、 C4Q/C4Pのどちらを追っているかとは独立である。
Q11. 作ったけど公開しないのはC4Q?C4P?
C4Pとしては問題ない。損失はC4Q側にのみ生じる。
自作を鑑賞し意図との距離を感じた → δᵢの蓄積 → C4Pは機能
Y(𝒂)のフィードバックが得られない → 代理指標の学習が停止 → C4Qに損失
δᵢの蓄積は公開の有無に依存しない。
Q12. これ、自分に都合のいい理屈を作っているだけでは?
ほぼYES。自分の文章に都合よくなるようにモデルを作っている。 ただし、都合のいい理屈であっても構造が内部的に整合していれば、 少なくとも自分の態度の表明としては機能する。
加えて、構造を書くことで都合の良さに起因する矛盾が検出可能になった。事後的であるが、都合のいい理屈を精密に書くと、都合の悪い部分が浮き上がるという数理モデルの副次的な効能に気がついた。
Q13. 鑑賞専門の人にもパーソナリティはあるの?
ある。 鑑賞はΠᵢの順方向適用であり、 ΦᵢとΨᵢにパーソナリティが宿る。 同じ楽曲を聴いて異なる感想を持つこと自体が、 Φᵢ ≠ Φⱼかつ/またはΨᵢ ≠ Ψⱼの帰結であり、 パーソナリティの発現である。 創作しなくてもパーソナリティは発現する。
Q14. このモデル、音楽以外にも使えるの?
使える。小説、絵画、料理、プロダクトデザイン、なんでもよい。 𝒜上の状態の物理的内容が変わるだけで、 三層射影の構造と候補集合モデルはそのまま適用される。 本稿で例が音楽に偏っているのは筆者が音楽家だからであり、 モデルの制約ではない。
Q15. 属性空間が無限次元って言われてもピンとこない
CDに収録された44.1 kHz、16ビット、ステレオ、3分間の音源は 約1500万次元のベクトルである。 これだけで十分にバカでかい。 実際の創作物がこの空間のごく薄い部分多様体上に乗っている、 という直感が持てればそれで十分である。
Q16. 売れたいと思うのはダメなことなの?
ダメではない。 Y(𝒂)を追うことは正当なC4Qであり、 堂々と最大化すればよい。 C4PはY(𝒂)の追求とは別のゲームだと言っているだけであって、 Y(𝒂)を追うこと自体を否定していない。
Q17. C4QとC4Pを両立することはできるの?
できる。というか、どちらかだけやるのは難しいと思う。 𝒂を共有するため緊張関係は生じうるが、 多くの創作者は実際に両方を同時に追っている。 ただし、Y(𝒂)の追求がδᵢの方向を歪めていると感じるなら、 それはC4Q側の圧力がC4P側に干渉しているということであり、そういったものを問題視している。 どちらを優先するかは本人の態度の問題である。
Q18. パーソナリティなんて気にしなくても良い作品は作れるのでは?
作れる。 Y(𝒂)が高い作品を作ることとパーソナリティの発現は独立である。 C4Qだけで十分な人はそれでよい。 C4Pは全員に推奨しているが強制ではない。
Q19. AIが作った曲にパーソナリティはあるの?
本モデルではパーソナリティは Φᵢ、Ψᵢ、δᵢの方向、 𝒞ᵢからの選択パターンに宿る。 これらはすべて個人iに属する量である。 AIが𝒂 ∈ 𝒜を生成しても、 それを鑑賞する人間のパーソナリティはΠᵢ(𝒂)を通じて発現する。 一方、AI自体がΦᵢやΨᵢに相当するものを持つかどうかは、 本モデルの射程外である。
Q20. パーソナリティが鮮明じゃない人はどうすればいいの?
δᵢの蓄積が足りないだけである。 作り続ける、あるいは鑑賞し続ける。 蓄積すれば方向推定が安定する。 量の問題であり、才能の問題ではない。
Q21. 好きなものがコロコロ変わるのはパーソナリティがないということ?
違う。 Ψᵢの変容が活発なだけであり、 パーソナリティがないのではなく、 変容の軌跡そのものがパーソナリティである。 固定されていることがパーソナリティの条件ではない。
Q22. 他人の評価が気になってしまうのはC4Qに毒されているということ?
Y(𝒂)の代理指標(再生数、いいね数など)を気にしているだけであり、 毒されているかどうかは態度の問題である。 気にすること自体がダメなのではなく、 それがδᵢの方向を歪めているかどうかが論点である。 代理指標を参考にしつつδᵢの方向を保つことは可能であり、 その場合C4QとC4Pは両立している。
Q23. 複数人でのプロジェクトではC4Pはどう扱われる?
候補集合モデルは個人iを主語に書かれている。複数人のプロジェクトでは、メンバーごとにδᵢが異なる。Y(𝒂)は共有できる(同じ作品の売上は全員に帰属する)が、δᵢの方向は個人に属するため共有できない。
バンドやチームで「方向性の違い」が生じるのは、メンバー間でδᵢの方向が乖離している状態である。Y(𝒂)の最大化では合意できても、𝒞ᵢからどのuを選ぶかで衝突する。C4Q的には協調可能だがC4P的には本質的に個人の営みであり、複数人のδを一つに統合する操作は本モデルでは定義されない。
Q24. 創作できない状態(金がない、時間がない、病気など)の人はC4Pではどう扱われる?
候補集合モデルのステップ1-5のループが回らない状態に対応する。ループが停止していればδᵢの新たな蓄積は生じず、パーソナリティの発現プロセスは一時停止する。
ただし、鑑賞は可能である場合が多い。Πᵢの順方向適用(他者の作品を鑑賞する)は創作のループとは独立に機能し、ΦᵢやΨᵢの変容は鑑賞を通じて起きうる。創作できない期間に鑑賞を通じてΦᵢが変容し、復帰後に「以前とは違うものを作りたくなった」と感じることはこのメカニズムで説明される。
C4Pは「今すぐ作れ」とは言っていない。蓄積のペースは人それぞれであり、停止期間があってもパーソナリティが消失するわけではない。金がない・時間がない・病気であるといった制約は、Q10(締め切り)と同様にモデルの外の制約条件として扱われる。C4Pはこれらの制約を解消する手段を持たない。C4Pは創作に対する態度の理論であって、社会福祉の理論ではない。
Q25. 結局、何を作ればいいの?
このモデルはその問いに答えない。 δᵢの方向は本人にしかわからないし、 事前に知ることもできない。 作ってみて初めてわかる。それがC4Pとも言える。

