The Blue Envelope #44
心のエジプト
数理モデルver2を作ったことで、自分自身”クオリティ”が何を指すことにしてんのかはっきりしていないことに気がついた。ver3が完成に近づいているのですが、そこでの作業を経て、C4Qをより正確に定義できたので、それ関連の2章を公開します。
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心のエジプト
今まで散々C4Qイデオロギーがどうだとか、クオリティ主義者がどうだとか、散々な言い方をしてきた。だが、クオリティは低くてもよい、とは言ったが、クオリティは低くあるべきだとは言っていない。クオリティが低いことを恥じずに堂々としなければならないのはそうだが、一方で、やはり可能な限り質は向上させるべきである。
日本一うまいラーメン屋と、日本一うまいエジプト料理屋があったとする。どちらが儲かっていそうかというと前者である。どちらもクオリティの高さは客観的に認められていて、その傑出度が同等であるとしても、市場が求めているのはラーメンである。エジプト料理屋の主人は腕が足りないのかというとそうではなく、日本一で、くそうまいエジプト料理を提供する。値段もリーズナブルで、店もいい感じの雰囲気であるとする。それでもなお、ラーメン屋の方が儲かるであろう。足りないのは、エジプト料理に対する市場の需要である。これは主人の腕とは全く別のファクターが作用している。
C4Qには二つのレイヤーがある。ひとつは意図の実現精度のための技術で、もうひとつは市場的クオリティだ。
意図の実現精度とは、やりたいことをやりたいようにできるようになるための能力が、どれくらいあるかという話である。テニスをするには、最低限枠に入るサーブを打たないと試合にならない。安定したテンポをキープできないドラマーは活躍の場があまりないであろう。逆に、すごいスピードで様々な球種をライン際に打ち込む能力があれば試合を有利に進められるし、ミリ秒単位で正確に音価をコントロールできれば素晴らしい演奏ができるだろう。意図は任意のものであり、どのような形であれそれを実現できればクオリティは高いと言える。ジャズだろうがノイズだろうがアンビエントだろうが、自分のやりたいことがあり、意図通りの曲が作れていれば高クオリティである。エジプト料理屋の主人は、エジプト料理という方向の中で技術を極限まで高めた。これもC4Q的な研鑽である。
一方、市場的クオリティとは、他者の反応の総和であると言える。いわゆる「客観的にすごい」状態はこれである。意図の実現精度の層では自分だけが重要であったのに、こちらでは他者全員の好みが変数に加わる。関わる人数がまるで違う。ここでは単純な人の数が重要になってくる。テクノとポップスを比べると、ポップスの方が稼げる可能性が高い。これは単にリスナー規模の問題である。意図の実現精度と市場的クオリティの間で決定的に違うのは、他者が“スコア”として介在するかどうかである。
どれだけ腕が立っても、市場がエジプト料理を求めていなければ客は来ない。場合によっては、自分のやりたい方向を曲げて、市場が求める方向に寄せなければ数字は動かない。エジプト料理屋がラーメンをメニューに載せるかどうかという判断は、意図の実現精度の層には存在しない問いだ。技術は市場的クオリティの必要条件であって、十分条件ではない。まずいラーメンは論外だが、うまいだけでは行列はできない。
個人で閉じた技術の層を鍛えることは、どんな態度の下でもやって損はない。エジプト料理を極めること自体には、市場の都合は介在しない。自分のやりたいことの実現精度を上げるということは、パーソナリティの取り出し精度を上げるということでもある。頭の中にある意図を正確に出力できる能力はC4P的にも純粋な資産となる。技術の層においては、C4QとC4Pは相補的な関係にある。
一方で、市場的クオリティの層は、C4Pと正面衝突する。他者の反応の総和を指標にした瞬間に、良し悪しの定義権が自分の外に出る。自分の方向を曲げてでも他者の好みに寄せるという動作が発生するのは市場の層においてのみであり、技術の層にはその力学がない。
しかし、世の中はこの二つのレイヤーを区別してくれない。常に二階建てである。さらに厄介なことに、技術の層には、それ単体でも優劣の比較の俎上に上がりやすいという性質がある。自身で閉じているということは、よりアイデンティティと結びつきやすいということだ。足が遅いというだけで少年の自己肯定感は下がってしまう。それには運動会という名の市場での敗北は別に必須ではない。技術であれ市場であれ、C4Q的態度の先には他者の眼差しがあり、最終的にそれを追いかけさせられることになる。
エジプト料理屋の主人が売れるためにとりうる方針は大きく分けて二つで、さらに腕を磨くか、程度はどうあれラーメン屋になるなどの市場適合をするかだ。どちらを選ぶにせよ、主人がかつてエジプト料理屋であるという事実は変わらない。どの道を選ぶにしたって基本的にクオリティは上げられるだけ上げた方が生存確率は上がる。悪いのはC4Q側の圧力が常にC4P側に干渉しているという構造であり、本書で言ってきたことは煎じ詰めればそれだけといってもよいかもしれない。
世の中の人間というのは、ラーメンを好むくせに、往々にして心の中にエジプト料理屋のような性質も同時に持ち合わせている。己の中のエジプト料理屋を捨てるかどうかは、あくまで市場の問題であるという事実を認識した上で、自分の態度を決めることだ。そもそもエジプト料理はうまいし。

