The Blue Envelope #42
#ITBS_text
(C4P軸での)DJ論考察
自分は音楽プロデューサー/DJであると同時に、無類の論Loverであり、議論狂であり、考察厨であるので、その興味がクロスする爆心地であるDJ論なんていうのは大好物であるはずなのだ。ここで、なにが問題かというと、おもしろいDJ論が全然見当たらないのだ。
既存のDJ論を言説の機能で分類すると、「ハウツー(こうやれ)」「ポリティクス(こうすべき/すべきでない)」「メタ(DJ論自体への態度)」の3つに分けられる。
1つ目はシンプルで、スクラッチやミックスの操作技術、rekordboxの使いこなしやレコ屋digの方法など、要は「こうやれ」というハウツーだ。2つ目は、事前にセトリ組む組まないとかSync機能の是非とかみたいなスタンス、イベントに呼ばれる呼ばれない、チャラ箱と音箱、アニクラの作法、現場でのマナーなど、要は「こうすべき/すべきでない」というべき論である。3つ目はシンプルに「DJ論ってしょうもないよね」とか、「DJ論ネットに書くやつはダサい」とかそういう視点だ。
なにが恐ろしいかというと、ほぼすべてがDJ同士の内輪の目線で書かれているところである。書き手が想定している読者は常に「他のDJ」である。構造的に、同じDJという立場の人間に対して、「どう振る舞うべきか/どう見られるか」という関心のみに駆動された、同業者間の規範闘争がほとんどを占めているのだ。
それらの言説空間は、自分に言わせてみれば完全に中間の、むしろ重要ではない部分である。本当は、両端にあるはずの「聴く側の体験」と「やる側の内面的充足」こそがエキサイティングな部分であると考える。DJの一番面白いところは、客がおもろくなれるところと、自己実現に繋がるところである。が、そこが両方とも抜け落ちているので、既存のDJ論にアツくなれないのだ。
まず第一に、DJなんてものは客商売であり、サービス業である。サービス業なんてものは、いの一番に顧客満足度を調査すべきであるし、他業種では例外なくそれが行われるわけだが、”DJ論”において、顧客のニーズも満足度も、ろくに調査された試しがない。「DJたるもの、フロアのために尽くすべし」と顧客目線の重要さは語られるが、その語りかける相手は他のDJであり、実際の客の存在はなおも宙に浮いたままである。フロアの客がどう感じているか、何を求めて来ているか、満足して帰ったかという、実際の視点は驚くほど無視されている。
自己実現の軸も同様にほぼ空白である。DJがクールであるのは、サービスであると同時に、表現のためのアートフォームであるという二面生にある。パーソナリティとは選択の連なりである、と主張する自分にとって、曲を選んで流す、なんていう行為は最高としか言いようがないのだが、既存のDJ論のなかで、曲の連なりに滲む自分らしさそれ自体が語られることはほとんどない。
本質的にDJ行為が素晴らしいところは、選択肢の数がちょうどいいことである。曲を連続で再生する、という行為は、「任意の時間軸に任意の出来事を配置する」という時間芸術の、かなり選択空間が狭められたものである。この狭さが実にちょうどいい。聴く方もやる方もちょうどいいから、歴史を超えてここまで普及しているわけだ。
創作論が「(業界内の)評価基準」ばかりで語られ、「受け手がどう変容するか」も「作り手が自分のためにどう作るか」も言語化されないという構造に震え、書き始めたのがこのメルマガのC4P作文である。そして、「DJ論」はあまりにもその典型例として世に跋扈している。同業者間の競り合いみたいな、どうでもいいところが、すり切れるまで擦られていく。水商売でありながら自己表現そのものであるという一番面白いところが語られず、中間でもにょもにょしている。DJ論のつまらなさは、C4P概念の普及不足によって起こっているとすら思える。みんな、本当に面白い、本物のDJ論を書こう。DJ論は絶対におもしろくなるはずや!(このテキストは「メタ(DJ論自体への態度)」に該当します。)

