The Blue Envelope #38
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忠臣蔵
おれの父親は忠臣蔵が好きであった。年末年始になるごとにあらゆるバージョンの忠臣蔵のドラマを見せられ、こんな素晴らしいものはない、みたいな話をされたのである。
知らない人向けに雑にあらすじを説明すると、主君を失った赤穂浪士が憎しみを胸に1年間準備をし、仇敵である吉良上野介の邸宅に討ち入り。無事敵討ちを果たし、その後にみんなで切腹をする、という流れである。(おれは歌舞伎とかはあんま知らないです)
要するに、主君を殺された恨みと、その恨みを晴らすことで守られる尊厳は、自分の命より重い、ということである。父の忠臣蔵好きポイントとしてもここが急所であろう。やり返さないで泣き寝入りするなんてことは生き恥を晒すのと同じであり、そんなことよりも、復讐のためにぶっ殺して切腹することが美徳なのだ。
なんでこんな話を持ち出したかというと、選挙に際しての戦争反対の態度を考える度に、忠臣蔵のことを思い出すからである。
敵国Xが侵略してきて、自分の大切な人がぶっ殺されたとする。ここで、泣き寝入りは尊厳の毀損と考え、仇討ちとして敵国Xをぶっ殺すべき、という考えがある。逆に、報復で相手と同じようなぶち殺し行為をすることを尊厳の毀損と考え、無抵抗を貫くという態度がある。
泣き寝入りと非道のやり返し、どちらが己の尊厳を損なうかを想像して欲しい。
極端な話で恐縮だが、この2つの態度はそのまま政治イデオロギーとして発現する。有事の場合を想定した時、前者の場合は仇討ち可能な軍事力がないとお話がならないので、防衛、ないしはそれを通り越して軍事力の強化が必要である。ぶっ殺されたらぶっ殺し返さないといけない。逆に後者は、やり返さないようなシステムを構築すべきである。日本で言う憲法9条や非核三原則がそれにあたる。
これはどちらも同じくらい、戦争というものを悪いものと捉え、命を賭けて抵抗しているのだ。どちらも“戦争は悲劇”という前提を置きつつ、抑止の置き方が違う。そしていいか悪いかは置いておいて、どちらも論理は通っている。反戦の裏表とも言える。
仇討ちをして死すべきか、逆に吉良を討つことで、吉良と同じくらい悪道に堕ちてしまうからしないのか。これは命より重い尊厳の話をしている。忠臣蔵をみてブチ上がるのかブチ下がるのか。
そして、選挙のあれこれを見ているうちに、自分が思った以上に、忠臣蔵を見てブチ上がる人は多いのだろうと感じてしまった。理由は山ほどあるにせよ、少なくとも「やられたらやり返さないと尊厳が保てない」という感覚が、この国の空気のどこかに色濃く残っている、ということなのかもしれない。

