The Blue Envelope #36
#C4P_demo
スペシャル(for me)
素敵な音楽がそこにあり、それに加えてなんらかの条件が整うと、特別な体験をすることができる。思春期に聴いたバンドの曲が、失恋した時に流れていたあの曲が、何かの偶然で起こった奇跡のような演奏が、中身も知らずに適当に買ったレコードが、時折、あなたに特別な経験をもたらす。特別な体験は大抵が個人的な感情と結びついていて、一時的な気分と、そのときの嗜好のあやで、得難い体験をすることができる。これは、世代を超えて、さまざまな場所で起こっている。このテキストを読んでいる人も、そういった体験をしたことがあるかもしれない。狙って起こすことはできないし、頻度は多くはない。しかしながら、至るところで起こっているので、音楽にはそういった力があるのだろう。
録音芸術のなにがよいかというと、そういった体験をできたならば、その音楽を再び再生することで、完全には無理にせよ、一部を思い出すことができるというところにある。記憶が擦り切れて味がしなくなるまで、リフレインすることができる。
この特別な体験というのは、お金でも買えないし、意図的に摂取することもできないし、本質的には人とシェアもできない。極めて個人的な出来事になる。音楽での感動というのは、とにかくパーソナリティと深く結びついている。
自分が音楽を作る最大の動機は、このスペシャルな気持ちになることである。常に神頼みをしながらくじ引きを引いているような感じである。大抵はなにも起こらない。が、ごくたまにそれは起こる。なんというか、それがおれの正体であるのだ、と思うときさえある。目の前には常に幻のニンジンがぶら下がっていて、それを追いかけまわしているのだ。
よい音楽を追求するということは、自分にとっての特別さを考えることと同じであると考えている。過去の特別な体験というのは、自分にとってのよさの最大の手がかりである。創作とは、過去の感動の焼き直しと言ってもよいのかもしれない。
なにが素晴らしいかというと、他人の感動なんてものは、知りようがないところにある。誰かがなにかに心底感動しているとき、それをある程度理解することはできても、完全に同じように感じることはできない。同じように、その感動を元に作られているであろう他者の作品もまた、完全に理解することはできないのであろう。
そして、理屈では無理であるとわかっているにもかかわらず、この、他者の感動や、その特別さを、どうにかしてつまみ食いできないか、と願ってしまうのである。不可能であると知った上で、理解したいと願ってやまない。それに近い体験を最も手っ取り早くできることを考えると、おもしろいことにというか、やはりというか、他人が作った音楽を聴くことになるのだ。
この、共有不可能な得体の知れないものを言い表す言葉を考えた結果、パーソナリティという表現が一番マシであったというのがこの作文の出発地点である。自分にとってのスペシャルとはなんなのか。毎日がスペシャルだっつーの!

