The Blue Envelope #28
#C4P_demo
無限の彼方へ
好きな音楽を聞かれる機会というのは意外とある。自分が音楽をやっているからというわけではなく、「普段休日はなにをされてるんですか?」くらいのテンションで、世間話くらいの空気感で訊ねられたりする。
よくある話として、マニアックすぎるバンドを答えて理解されず会話が終わってしまった、とか、そうならないように、あえて相手が知ってそうな範囲で回答をする、みたいなあるあるもあったりするが、とにかく、世間話としての機能を考えて、よい雰囲気で会話が弾んだか否かが軸に議論されがちである。つまるところ、大体のケースが共通の話題を探るためにこの質問をしているのだ。
ここで、自分の理想状態を述べておく。”他人に好きな音楽を尋ねたら、ほぼ確実に、知らない音楽の話をされる”である。自分に言わせてみれば、共通の話題が見つかる時点で、極論、十分な数から選べていないと考える。
音楽は、この世に文字通り星の数ほど存在する。全員が、その無限とも言える音楽の中で、自分の好きなものを無邪気に選択したら、確率的には被るほうがおかしい。素直に考えると、好きな音楽を尋ねると、知らない音楽を提示されるはずであり、そうであるならば、まず相手にはそれの説明をしてもらうことになる。これは単純な、確率的な話である。
しかしながら、現実はそうなっていない。共通部分があると信じて質問したり、共通部分を逸脱しないように回答するほうが自然であると考えられている。そしてそれは、現実においては妥当な態度である。これは、普通に生きていると、人間は、十分な選択肢の中から、好きな音楽を選びとる、というプロセスを経ることはないということを意味する。
かつては音楽を知ったり、聴いたりする上で、メディアの物理的な制約がボトルネックになっていた。レコード、カセットテープ、ないしはCDなどを買わないと聴けないし、どんな曲が売っているかはテレビ、ラジオ、雑誌に載っている範囲でしか把握できなかった。この制限によって、おのずとみんな同じような範囲で好きな音楽探しをする。自然と被りが生じ、好きな音楽を質問する行為が世間話として機能する。なんら不自然なことはない。
時は経ち、現在、主要音楽サブスクリプションサービスでは、それぞれ大体1億曲以上の楽曲が提供されている。じゃあ2人の人間がその中から好きな曲を1曲選ぼうぜ、となると、全ての曲が等価であるという仮定をすれば、それが一致する確率は1億分の1の2乗、もうほぼゼロと言ってよい。にも関わらず、依然として好きな曲は被る。被るから世間話に使われる。テクノロジーによって、十二分な選択肢が我々に与えられていて、門戸は開かれているにも関わらずである。
こうはならない理由は大きく2つ考えられる。選択肢の数が足りていないか、全ての曲が等価であるという仮定が間違っているかである。
まず構造上の問題がある。金を儲ける上では全員が違う曲を聴いていると困る。資本主義は集中を求める。ヒットチャートでもバズでもなんでもよいが、金儲けは人々のリソースを集中させることで達成される。アルゴリズムにしてもマーケティングにしても、とにかく人々が同一のなにかを把握し、共有するように求められる。あらゆる商売が我々に一極集中を求める。期せずして、金儲けの要請と世間話弾ませの要請は一致する。共通項を発生させ、共有したいのだ。
そして残念ながらあらゆる曲は、クオリティにおいて等価ではない。才能のある人間が、長い研鑽を経て、偶然生み出した曲と、才能もなく、努力をする気もないマヌケが適当に作った曲は、クオリティという点では客観的にも明らかに価値に差がありすぎる。自分はパーソナリティが発現してるんで等価!と瞳孔ガン開きでマヌケの曲であっても進んで聴くが、これは一般的とは言い難い。
サブスクリプションサービスに加入すれば即1億曲が聴けるようになる時点で、選択肢は足りているように思える。が、結局人々は1億曲も聴きたくないし、全ての音楽を等価に捉えたくもないのだ。世間話の肥やしにもならないし、金儲けにも向かない状態など誰も求めていない。アルゴリズムでバズった曲を聴かされる世界を選んだのは、他でもない我々自身であったのだ。
共有の重力に身を任せるか、歯向かうかはマインドの問題である。全ての曲が等価であるという考えは極論として棚に上げても、提示されている選択肢が足りているのは事実だ。インターネットにアクセスすれば、死ぬまで知らない音楽に触れ続けることができる。そして、1億再生が1曲あるより1再生の曲が1億曲あるほうが美しい世界であると自分は感じる。そうなっていないのは、単純に我々サイドがそれを選んでいないからだ。1再生1億曲の世界では音楽産業を経済的にサスティンさせることも難しいだろう。それでも、自分は無限の音楽の選択肢の海に飛び出さないといけないと感じる。
十分な選択肢を確保して、適切に選択をすることができるのであれば、曲を聴くことも、曲を作ることも究極同じである。抽象化すると無限の選択肢から選択する、という点で差がないからだ。誤解を招かないように言っておくと、1億曲を聴き込んで、その中から好きな曲を選んだとして、決して作曲ができるようにはなるわけではない。が、明確に、パーソナリティを発見できるという意味で、作曲をするのと同等の効果がある。
好きな曲を尋ねたら、知りもしないよくわからない音楽の説明をされる世界を自分は望んでいる。知らないのだから、説明をする必要があり、話は長くなる。世間話ではすまないくらい会話をしなければならないかもしれない。そうなると非常に嬉しい。自分はおしゃべりが好きで、音楽の話をたくさん聞きたいからだ。

