The Blue Envelope #22
#C4P_demo
変な人
世の中には、暗に、変な人判定されるラインみたいなものが存在している。特に創作活動においてはその傾向がより強い。「旅行にいくのが趣味で、年に2回は必ずいくようにしています」とか「ギターが好きで、たまにスタジオに入ってセッションしています」などは実に一般的な趣味で、特になんとも思われないが、「毎日寝る前に気持ちをポエムにして書き溜めています」と言われたら、あ、変な人なんだな、と感じる人が多いであろう。変な人と感じるくらいならましで、「あ、アーティスティックな感性をお持ちなんですね(笑)」みたいな冷笑の対象になることもある。そして、どうも自己の表現が絡むと冷笑の対象になりやすい。「好きなバンドの曲を弾きたいから楽器を練習しています」といって馬鹿にされることはあまりないが、一見大差がない営みである「作詞作曲して、自作の曲を弾き語りしています」という人間は、「おー、ポエム(笑)、自作曲(笑)、やってんね(笑)」といった、揶揄の態度を向けられるケースがある。こういったスタンスの人間は、恐ろしいことに割と存在している。ポエムや自作曲のなにが、他以上に冷笑の類の感情を呼んでしまうのだろうか。
一方、創作行為を意識的に行っていない人間が、それをやっている人間に向けるあざけりの態度の逆に、創作者側の、創作行為に対しての過剰な神聖視もある。「毎日寝る前に気持ちをポエムにして書き溜めています」という人間を馬鹿にするのは論外だが、この毎日ポエム側の人間が、ポエムを書かない人間を情緒を介さない愚かな人間であるとみなしたり、必要以上に自分が高尚な営みに携わっているという感覚を内面化してしまうこともある。絵を描いたり、音楽を作ったりすることは、基本的にはスポーツや学校の勉強となんら変わりがなく、ただ技術やノウハウを少しずつ習得し、それを可能な範囲で運用しているだけなわけであるが、それを、さも選ばれた、特別な人間だけができる営みであるとし、それに自分を当てはめて自己陶酔してしまうなんてことが起こりうる。
いわゆる”クリエイティブ”な営みに対して、自分がしない人間であると決めつけ、揶揄し、必要以上に距離をおいてしまったり、あるいは、やっているという自認のもの、実際のそれ以上に神聖視してしまったりといった、双方からの誤った認識が存在する。創作とはどうも、過剰に低く、あるいは高く見積もられる傾向にあるように思う。これは、早急に是正されるべきであると考えている。
単純な話として、これらは認識の精度の問題と、ポジショントークでしかない。まず、大体の人がクリエイティブな営みがなにを指しているのかが良く分かっていない。加えて、自分が創作活動をやっていないという自認の人間は、そう言ったものを、実益のない、変わり者がする、いけすかない行為としてしまうことで、やっていないことを正当化することができる。逆に、やっている側として、人とは違う、程度の高い営みに携わっていて、非凡な行為を行っているとした方が都合が良い。例えばアーティストが自己ブランディングなどをする上で、少しでもすごいと思われた方が基本的には得である。実際は働きたくないだけなのに、それの言い換えとして「僕には音楽しかないんです」みたいなことをいうのも同じような話である(もちろん本当にそういう人もいる)。みんながよくわかっていないものを有耶無耶にして、自分の都合の良いように解釈しているだけで、そこにはなんの生産性もない。
C4P的な見地から解釈すると、創作行為の重要なところは、個人性が発現するという性質によって、他者には代替不可能であるという部分にある。この、代替不可能であるという性質と、すごさは独立して存在している。替えが効かないから価値があるが、価値があるからといって、特別すごいわけではない。全員が持っているからである。スペシャルで、オンリーワンだが、平等なのである。クオリティの高低と混ぜてはいけない。価値はあるが、必ずしもすごくはない。創作に携わることはそれだけで価値があるが、それだけを理由にイキるには値しない。逆にいうと、携わるだけで有益なことからあえて距離を置く道理もない。みんなが当たり前にやって、それらが尊重され、かつ些細なこととして受容されて欲しいのである。
何者かになりたい、という欲望もそうであろう。何者かになっている状態の定義をするステップと、それに接近するクオリティ面の努力のステップがあるわけだが、実際のところ、”何者でもない人間”という枠を設け、そこに該当するやつは凡庸でつまらないやつであるとし、そうではなくしたいという欲望だけがある場合がほとんどである。自己に対する解像度があり、実現のクオリティがある、それ以上でも以下でもない。さらにいうと、芸大生には個性的なやつが多い、バンドマンはみんなイカれている、表現者っていうのは凡人と違ってぶっ飛んでるんだよ、みたいな属性語りがなくなって欲しい。本当の意味で個人に向き合えば、この世の全員がユニークで、イカれていて、ぶっ飛んでいる。その前提の後段に、それに対する認知の精度があり、そのデリバリーのクオリティがある。
こういうことを書くと、綺麗事を言いやがって、と言い出すやつがすぐいる。自身の個人性に向き合うのは複雑で面倒臭い。そして、認知の解像度が低く、そしてそれを表現する技量がないと、世間的にはいわゆる凡庸な人として映る。あるいは、過剰に変人として振る舞おうとしてしまう。凡庸な人を下にみる、変人を排斥する、変人としてイキる、全部間違っている。間違いを是正するには、ポエムを作るしかないのである。大体の人は、クオリティという面で他者から評価を受ける前に死んでいく。何者でもないものとして。あるいは変な人と見なされて。それでもポエムをやろうという話である。何事もなく、ポエミーに生きるべきである。スペシャルで、オンリーワンで、平等で、取るに足らないことであるのだから。

