選挙前に書いていたが、公開できなかった文章である。人に読ませるようなものではないのかもしれないが、今このタイミングで公開することに意味があるのではと思ったので置いておきます。
#ITBS_text
父の言葉
父は自分が幼い頃から、”チョン”という言葉を度々用いていた。バカ、アホ、間抜け、といった感じの蔑称と並列に、その差別用語は、時には深い意味なくカジュアルに、あるいは明確に差別意識を持って用いられた。
父は1950年代に神戸で生まれた。身近に朝鮮学校のある地域で育ち、常にそういった属性の人間に対してのヘイトを持ち続けた。子供である自分に対しても日常的に韓国人ルーツの人間に対しての悪口を言っていた。阪神地域で育っていない人間には想像できないかもしれないが、父の世代の人間で、そういうことをいう人間は全く珍しくなかった。しばしば親戚と酒の席で、”チョン”という単語を用いて盛り上がり、「朝鮮人とだけは結婚すんなよ」などと言われたこともある。特に悪の意識のない、凡庸な、どうしようもない差別である。そして、それはありふれたものであった。
地域のそういう背景もあって、自分自身の世代(90年代生まれ)は、学校でもその手の差別についての学習の時間がしっかり設けられた。これが割と裏目に出て、授業後には、あそこは部落や、とかあっこの地域はマジでやばいで、など、ガキの無邪気な感想が飛び交った。一方、母は千葉の郊外の生まれであり、そう言ったノリの背景や動機を理解できておらず、その手の話題が出るたびに嫌そうな顔をしていた。そういった逆側のリアクションに触れていたので、自分はたまたまそういった差別意識を内面化せずに済んだ。普通によくないし意味がわからんなと感じた。聡明だから差別をせずに済んだというよりは、本当に環境由来の偶然と言って良い。
20年以上の時が経ち、世の中は変わっていった。”チョン”という言葉を、公共の場で使うことは憚られるようになった。テレビをつけるとK-POPが流れ、若者は韓国文化に親しんだ。母は韓流アイドルのライブに通っていた。
一方、父はついていけなかった。ふと実家に帰ると父がひたすら八代学院高校と朝鮮学校の決闘に関するエピソード(垂水地方のヤンキー伝説みたいな感じです)の動画を見ていた。青春時代に抱いた、誤った熱さをまだ擦っていた。退職をしていて、世間とのすり合わせの場はなく、父は置き去りであった。
知らぬ間に父は”チョン”という言葉を使うのをやめ、ネットの謎の文化圏の影響で中国と韓国をまとめてCKと呼ぶようになった。それ以降の父がどうなってしまったかは詳しくは書かない。というより、実家にもあまり帰っておらず、その手の話題に触れるのが嫌で、避けている部分があるのでよく知らない。
2025年参院選、参政党の神谷党首が、演説にて、口が滑ったていで、しかし明確に意思を持って”チョン”という言葉を用いた。”チョン”という言葉が、父のような人間にとって、妙な魔力を持った、意味のある言葉であることを知っていたからである。
その時代の、特定の層の芯にある、日常的に使われすぎて手垢のついた言葉。これが世の風潮によって堂々と使えなくなった。言葉だけ取り上げられ、しかしろくな反省はなされておらず、ただその差別感情は奥底で煮込まれ続けていた。奪われた、と言っても良いくらいの感情を持っているかもしれない。そして、ここに火をつけると何が起こるかをわかった上で、神谷党首は、その言葉を用いた。反ワクの世界にも、スピリチュアルの世界にも、霊感商法の世界にも、カルト宗教の世界にも、この手の”奪われた言葉”が存在しているのだろう。神谷党首は意図的に、彼らの言葉を用いた。特に強いイデオロギーからくる行動ではないように見える。悪しき感情に火をつけて周り、票に変えた。自分にとっては、本当に悪魔のような人間に見えてしまった。
誤解を恐れずにいうと、自分は父が好きである。反面教師にした部分を超えるくらい、まっとうに良い影響を受けた。父は50年前のルールに殉じて生きた。大量に酒とタバコをやった。家族に貧しい思いをさせてはいけない、とハードワークに耐えた。朝鮮差別もした。そのルールが変わった。
ルールが悪かったとはいえ、人生の大半が取り上げられたような気持ちになっていることは想像に難くない。息子はたいして酒も飲まず、タバコも吸わず、音楽を作ってちんたらと生計を立てて、左寄りの思想と共に生きている。息子の暮らしや思想を認めることが、そのまま父の半生の思想を否定することになると言っても大袈裟ではないだろう。カジュアルにはすまない。世は「対話で解決しよう!」などという。そんな簡単に言わないでくれないか。誰もその方法論や、成功エピソードを教えてくれない。対話で?どこから?
うちは家族にも投票先を言わない暗黙のルールがあり、コミュニケーションもとっていないので、父の最新の政治思想や、参政党に対しての感情は知らない。いい感じにバランスとってやっているかもしれないし、最悪なことになっている可能性もある。
とにかく色々あって、面倒なことを避けていた自分が悪い。父もこれを読む可能性がある。が、いつかはすることになる話である。お盆は実家に帰ろうと思う。