The Blue Envelope #12
#ITBS_textと見出しがついていたらおれが書きたいだけのなんか適当な文章で、#C4P_demoという見出しがついていたら文フリ用原稿の叩き台だと思ってください。よろしくお願いします。
#C4P_demo
しかし なにもおこらない
音楽のワークショップをやっていると、参加者に種々様々な質問をされるが、自分の考えの練度を高めるために、あるあるな質問に対してはベストな回答を用意していたいと思っている訳である。ここで、最頻出で、幾度となく聞かれ、そして、抱いている課題意識そのものであるとも言える質問が1つある。「曲を完成させて、リリースしたのですが何も起きません。どうすればいいですか?」といった趣旨のものである。
特に穿った見方をせずに、この質問を素直に受け止めるのであれば、自身のアーティスト活動における、セルフブランディングや、プロモーションの方法を訊ねている訳である。東京以外の地方に暮らし、意味のわからない音楽を作って生計を立てている自分が、そういった点で何か特別な工夫をしているという見立てのもとでの質問であろう。再現性がないものが多すぎるとはいえ、可能な限り答える努力はしている。そもそも、一生懸命作った作品を発表して、それに対してレスポンスがさっぱり得られないというのは、徒労感が強く、悲しいことであるのは、自身の経験も含め重々理解している。無理だとはわかっていても、何かできることはないだろうかとは考えるわけである。
一方で、あまりにこの質問をされすぎるあまり、かなり性格の悪い考えが浮かんでくるのである。みんな、もしかして、見返りがなかったら音楽なんてやらないってこと?
「リリースしても何も起きない」の起きて欲しい”何か”というのは、端的にいうと努力に対する見返りのことである。もう少し掘り下げると、リスナーの感想であったり、期待した程度の再生数であったり、仕事やイベントのオファーであったり、かっこいい、センスがある人間だと思われたりなど、要するに対外的な評価と、それによる価値の確認である。投入した労力に対して、想定、あるいは期待した対外的評価があり、それが獲得できなかった。意図した対価がなかった状態を、「何も起きなかった」と表現するわけである。
特に綺麗事をいうつもりはないが、音楽は楽しい。演奏をするのも、作品を作るのも楽しい。人に聴いてもらえるともっと楽しい。楽しいからやるの。そして、楽器を触った瞬間に、DAWからなんらかの音を鳴らした瞬間に、作品を作り始めた瞬間に、明確に大きすぎる”何か”が起きている。「何も起きなかった」なんて悲しいことを言わないでくれよ、と思ったりするのである。
関連して、ここ数年のYouTubeなどを取り巻く環境にも似たようなことを思ったりする。かつては動画をアップロードしても直接的に金銭的な対価を得られる仕組みはなかった。物好きが様々な形で自己表現などに活用していたが、無料であるにもかかわらず、ネットに顔を出すのはリスクだ、みたいな風潮も相まって、大衆が動画をアップロードしようと思えるだけの動機がいまいち存在していなかった。が、再生数に応じて対価が支払われますよ、というお触れが出た瞬間に、多すぎる人間が顔出しをして、皆が次々とクリエイターを名乗り始めたのである。要するに、かつては”リスクはあるくせに、何も起きない場所”であった場所が、”リスクに対して、何かが起きるかもしれないプラットフォーム”である、と大衆に見なされたのである。ぼかさずに、文字通り現金な言い方をすると、金や名声というニンジンがぶら下げられた瞬間に、世間が走り出したのである。これを真正面から解釈するのであれば、クリエイティブなんてものは、基本的には何も起こらないからやる価値はそんなにないが、金や名声などの見返りがあればやってやってもいいかな、と思っている人間がほとんどであるということである。これに対しては、みんな単純にお金が欲しかったんだったら、最初から言ってくれやと、いまだによく思っている。音楽に対しても同様に、何も起こらないならやる価値はそんなにないが、見返りがあるならやってもいいかな、くらいに思っている人間が大半であることは想像に難くない。まあそれも至極自然なことである。
ここで、一介の音楽愛好家として、ある野望が湧き上がってくる。「あなたの思うような見返りがなかったとしても、音楽をやることは十二分に価値があり、楽しいんですよ!」と、高らかに主張したいのだ。というか、見返りがないと取り組みたくない娯楽ってそもそもなんなんだろうとも思う。パチンコを考えたって、大半はギャンブル要素があり、換金所があるからやるわけであるが、一部の物好きは三店方式が完全に禁止された世界でも打ちに行くであろう。そもそも音楽が、金、ないしはそれに類する対価がないと続けられないような程度の面白さしかないものだとは思えない。
とは言いつつも、見返りはあるに越したことはない。「曲を完成させて、リリースしたのですが何も起きません。どうすればいいですか?」という質問が頻発することからも、見返りゼロはキツい、というのはどうやら間違いないのである。手段を選ばず大金持ちになりたい、みたいな邪な動機で音楽を選択したやつは筋が悪いので一旦さておいて、明らかに、モチベーションの維持において適切な見返りの獲得というのは重要であるわけだ。しかしながら、音楽家全員が期待通りのお金と名声を獲得する、というのは現実的ではない。
課題を整理すると、大体以下の3つになる。見込まれる対価がないと大抵の人は創作に手を出さないということ、皆が期待するような対価は往々にして得られない傾向にあること、そもそも創作の本質的な面白さを理解できていないこと。回答すべき問いはシンプルである。創作は何が面白いの?そして何が得られる?
大きく2つのルートが考えられる。1つ目は、おもしろポイントの理解を先に目指す方法である。音楽の本質的な楽しさをうまく説明し、それ自体が見返りですよ、とするパターンである。「それめっちゃおもしろそうじゃん!じゃあやるわ!」となればよく、シンプルであるが、いきなり抽象概念のデリバリーをする必要がある。2つ目は、先に富や名声以外のサスティナブルな新しいニンジンを設定する道である。うまいことニンジンを設定できれば、面白さはやっているうちにわかるだろうというアプローチである。前者よりは具体的な説明が可能であるが、金銭などと比較して、なお魅力的であると思わせるのは相当難しそうである。
まず前者である。従来に受けた教育の記憶を辿ってみると、なるほど創作をやると何がどう楽しいのかを説明された記憶はほぼない。例えばピアノ教室に通ったとして、なぜピアノをやるのか、ピアノを弾けるようになったらどんな嬉しいことがあるのか、ピアノが弾ける人生と弾けない人生にはどう言った違いがあるのか、みたいな根本的な動機づけをされた経験がある人はあまりいないであろう。楽しさが曖昧なまま長い反復練習が始まる。吹奏楽部に入部したとして、ほとんどの場合が吹奏楽器そのものの演奏の楽しさや、合奏の魅力が十分に説明される前に、マウスピースを鳴らせるようになってこい、と鍛錬の指示が飛ぶわけである。
音楽に限らない。スポーツや、それ以外の学校教育下でのあらゆる部活にしたって、技術指導の機会はあったかもしれないが、何がどう楽しいのかを教えられた記憶は正直ない。球技の魅力を教えられた記憶はないが、下手さを笑われスポーツを憎んでいる人は世に溢れている。
なんでこんなことになっているかというと、物事の本質的な面白さを説明するのは、単純にめちゃくちゃ難しく、かつ面倒だからである。スポーツ愛好家も、音楽愛好家も、それ自身の楽しさを自明のものとしてしまう節がある。自明と思いたいぐらいに楽しく感じてしまうし、他者もそうであると思いがちで、だからこそ、説明が必要で、かつそれが困難であるという事実から目を背けてしまうのだ。広告収入があれば人が動画を投稿するのは、メリットが明快で、説明するまでもないからである。そりゃあお金がもらえると嬉しい。逆に創作の楽しさはどうやら自明ではないようなので、人々を駆動する力が弱い。なんとかして説明をつけないといけないようである。そして、悲しいことに、上手に伝える方法を自分はまだ持ち合わせていない。これが第一のルートを困難にしている。
暫定的な意見を捻り出して辿り着いた概念が、本書でのクリエイト・フォー・パーソナリティ(Create-for-Personality / C4P)である。音楽の楽しさを、個人性の発現に見出す。意見や考えを人に伝えたい時に、我々は大体自然言語を用いるが、音楽という聴覚表現によってその手段のチャネルが増えるのであればそれは良いことであろう。むしゃくしゃした時に楽器を演奏したら気が晴れるかもしれない。日記を書く代わりに曲を作れたらどうだろう。音楽制作に集中していたら、何か自分がわかった気がしないか。言語操作以外で個人性を立ち上がらせることのできる営みは貴重であり、意味がある。こんな説明で、「そりゃあ最高だ!創作活動するっきゃねえ!」とならないことは重々理解している。が、今はそれくらいのぼんやりした説明しかできない。しかし、上手い具体的な言葉が見つからないだけで、この部分が重要である確信はある。
2つ目のルートである、価値を転換して、富や名声以外の、誰でも等しく得られるサスティナブルな見返りを見出す、という策である。私は作品を通じた自他の相対的な理解と、それによって得られる人間関係をそれに設定している。馴れ合いを推奨すんのかよ、という批判を受けたこともあるが、馴れ合い上等である。人の曲を真面目に聴く。人に自分の曲を真面目に聴いてもらう。ここで交換されるフィールと、それによる繋がりを対価としたい。これも正しいと信じてはいるが、非常にわかりにくい。一聴して、最高じゃん、やってみよう、とはなりそうにない。「爆速で月収10万増えますよ」という類の説明が世に溢れている理由がよくわかる。
富も名声などの対価もないままに、楽しく音楽を続けることはできる。この命題は真であるとしよう。じゃあ何が楽しいの?となった時の回答がややこしい。もっと明快にしたい。が、そうはいかないことを薄々分かっている。単純ではないのが魅力の源であるからである。個々人のパーソナリティは複雑で、理解しきれない。理解しきれないものを浮かび上がらせることが創作である。
「曲を完成させて、リリースしたのですが何も起きません。どうすればいいですか?」と聞かれたら、屁理屈のようであるが、「もう起こっていますよ」と答えることになる。個人性が自らから取り出され、眺めることができる。それを他者と交換して、自他の相対的な理解を得られる。こんなものを目の前に、なにも起こっていないなんて灯台下暗し以外の何者でもないが、一手にしておもしろそう!と思ってもらうにはどうすればいいのだろうか。
音楽はとても楽しいですよ。説明の努力はします。でも、最終的には「騙されたと思って、一回だけ!」と、完全に悪いことを勧めているような言い方しかできないので、「そんなものは要りませんので、わたしはいいです」と返されたとしても仕方がないとは思うけれど。